6月20日(月)数字というのも言語の一種だと思えばウソもあり得る

こんにちは。うす曇り、午後一時ぱらぱら。気温ちと上がる。
所用にて郊外の施設に赴く。野に里山に初夏の気配。















 「嘘には3種類ある。ウソと大ウソと統計である。」って
統計を揶揄する文言があるけど、当たらずとも遠からず。
実際に正確な統計を取るのは難しい。取り方にどーしても
恣意性がはいるし、サンプルが偏らないようにするには細心
の注意を要する。また、出来た数字の取り扱いにもイロエロ
な思惑がどーしても入ってしまうものです。


















 今日読んで、ちと嫌な感じを受けた記事。いわく、
「たかだか10万人前後の被災者の為としながら1億人以上
の日本全体の方向を曲げてはならない!」つう趣旨の内容で
した。一応正論じみてます。0.1%の為に全体を歪めても
イイのかい?なんてね。ま、論旨はエネルギー問題やTppとか
市場主義に立った発言なんすが。

















 原発事故による死者数は自動車事故による死者とは比べ
物ならんくらい少ない、とかを持ち出す例もありました。ま、
それはそーだけどね。その観点からは正しい。でも、死者数
って基準を持ち出したところで既に恣意性入り捲りなんすよ。
日本中で一年に100万人以上が何らかの原因で亡くなって
るんすからね。むしろ立ち入り禁止区域の広さや風評被害
大きさ、海外からの信用問題なども含める問題だと思います。





















 これは例えて言えば、人体60兆の細胞は皮膚などは3日
、骨などは5年かかりますが1年でほとんど入れ替わります。
1分間で2億個くらいのペースです。これらは定常的に入れ
替りますから人体に大きな影響を与えません。しかし、怪我
したとか切られたとかで何億個とかが壊されたら人体に大き
なショックを与えますよね。この人体を社会に置き換えても
同じです。要するに、定常的かカタストロフィックかの違いが大きい
のれす。(温暖化問題でも似たような比較がでけるけどね。)














 ですから我らはただ単に出てきた数字をあれこれしても
詮方ないのれす。その出し方や読み方に注意しないと大嘘
以上のトンデモになり兼ねないのだと思います。世論調査
によって輿論を動かそうってなマスメディア志向も充分注意
に値する操作だとおもいまふねぇ。数字になれば客観的なの
ではなく、主観的な数字っつうのもあることをお忘れなく。







 




ドモドモ