6月22日(火)事実ってじつは沢山あるのれすね


 こんにちは。薄曇りかうすら晴れかは分からんが湿気が多い
のだけは確かですぅ。




 風土と国民性の間に深い相関がある、つう論説には共感でけ
るな。「18時といえば真っ暗」という常識は、季節の移ろい
とともに「まだ昼間ぢゃん」という非常識に変る。ああ、日が
長くなったなあ。(これがパリへ行くと20時でも未だ夕方れ
す)








 現実主義者って事実(現実)重視ですから、ともすれば長い
ものには巻かれろ!になりがち。短期的にはイイこともある
けれど、長期的には当為(こう在るべき)重視の志しある人に
は及びません。事実重視のマスメディアはどーしたって近視眼
てきにならざるを得ません。ああ、むべなるかな、ムベナル哉。









 「客観的な指標?」ってなんだい。そんなんある訳ねーだろ?
てなもんでもなーい。これは主観が客観に変化する臨界点を見
れば分かるんですね。所謂オーソリティー(官公庁とか文化人、
有名人、学者、近所のご隠居などなど)が自信をもって発すれ
ば、それが客観的な指標になります。ま、ジンブツではなくっ
ても、「テレビがいってたお。」とか「新聞に書いてあったお」
っつうのも客観化の指標れすね。ま、非常に広々と考えれば、
3人以上が「これで行こうや!」と思えばそのグループでの
客観性が生じるのですよ。









 我らは常に現実を概念化、抽象化しておーる。これはどんな
人でも同じですね。所謂人間たる証しれすから。さよなら三角
また来て四角、定義上の三角四角なんて何処にもないけど我ら
はそれを理解でける。現実にあるのはちょと曲がった三角四角。
直線だって幅がないけど理解はでける。第一この世の全ての量
は実際は定かならず。必ず誤差っつうか幅があるから。「これ
は何グラムです」とか「これは何センチです」といっても実際
は大よそそのあたりというだけでピッタシというのはあり得ま
へん。「全ての実測値には誤差が伴う。」だから何々以下は
失格とかいう指標は一種の仮想値なのれす。つまり一端指標を
出したなら、指標という性格に付随する不公平感は何にでも
付いて回るのです。











 とは言え、社会生活をデタラメに基いて送るわけにもいかん
から、時間空間に関しては物差しの基準となるべき世界標準
原基が必ずどこかに存在するのですね。これが客観的な世界観
の指標と言えなくはないことはなくなーい。(ブハッ、最近
多重否定をわざと多用してるの分かってた?ども)










 むむ!ん?何を言ってたのかな???
そうそう。 事実>>>当為 とはいえ、事実じたいだって
その本態は統計的な現実で、実は定かならざるものである!と
回りくどく述べたかったのれすぅ。デワ、ゴメン