4月15日(日)こころは実体ではなくして作用であーる、そして相互作用が心と物を結びつける。

 薄ら晴れ、風はちべたい。

 思い切って冬物を全部保管付クリーニングに出したら、意外と首のつべたい一日ですた。コンニャロ


 ものごとの根源は客観的な対象にあるとおもたら大間違い。ものとこころ、物質と精神、対象と認識主体、など色々言い方はありますが、その両者の相互作用の中に実態はありますのだ。例えば、動物のなぎ声は物理的な波動としては1種しかないが、その聞こえ方は文化依存の主観的体験、言語の数だけ聞こえ方がありまふ。心と体は当然分離したものではなく、相互に影響しあう相補的な関係にありまふ。本もそのコンテンツに価値があるのか?っつうと読む人依存ってなところもありまふ。ある人にとっては豚に真珠だし、またある人にとっては人生の指針であったりしまふ。これはあらゆる芸術にも敷衍でける真実でやんすね。ですからアフォーダンスだって強ちバカにしたものでもないと思うんですぅ。より一体化した相互関係は相即関係とみなしても良いのかもしれません。ですから物質界の現実と精神的な現実とは実ははっきりと区別できるものではなく、渾然一体化した相互作用の中にあるといへるのですぅ。ども。

 んじゃ、ゴミも見方によっては芸術であり、見る人によって価値が変わるんかい?ホントの芸術と偽の芸術ってあるんかい??製作者、作品、鑑賞者の相互作用ってなんなのん???相対化し過ぎちゃ価値なんかないじゃんか。ふむふむ。でもそれはホントなんだよ。今名品と言われている作品だって、当時はクズだとゆわれてたものが沢山あるではないですかぁ!要するに多くの人がイイというものに経済的な価値が付いただけであって、そうではないものに粘着するオタクだっていっぱいいるはずだ。そのしとにしか価値のないものだってね。それを維持でけるかどーかは、他者依存の度合いに掛かっているような気もします。ああ、どこまで行っても相対的な価値観って割り切れんから詰まらない。

 そうそう、そろそろセザンヌ展に行ってみよう。誰かに券をおねだりしてみようかな。プ