4月16日(月)モギケンと橋下(考)

 晴れのち薄曇り。花筵、花筏も汚れてきました。

 散る桜、残る桜も 散る桜(良寛)。江戸時代の良いところは、封建の圧政とは別に庶民の暮らしの中にありまふ。一茶や良寛さんが村の子供たちと遊んでいる風景は、他国、ましてや欧米では絶対見られないものだすねィ。幕末、明治に来日した外人はみんなおどれーて、これを裏山しがってますた。








 モギケン、橋下氏の姿勢を「政治のイノベーション」と褒める。でもその政策には40%しか賛同しないと。TPP参加,教育問題、原発問題、消費税、参院廃止だと最初と最後の二つかな?ちなみにぼくは一つしか賛同でけまへん。そして橋下氏から「あんがと、もっとガンガン批判してくらはい」とのリプに答えるに、「批判ではなく、多様な視点を持ち寄ることで全体としてロバストになると思うのです。」と躱した。この辺りがイデオロギーに染まらない相対主義者の一面なのかなぁ?でも、ケンちゃんイイこと言ってるとおもふ。



 要するに、何が政治のイノベーションかっつうと、「拙速は巧遅に勝る」と「民主主義の下で決めたルールの順守」でやんすねィ。決められない政治にたいするイライラ感は分かるけど、決める政治のあやふさにも一抹の不安は残るっ。ヒットらーだって周りでは粛清やってたけど、国民には人気があったからなぁ。国民が育てたホロコーストも民主主義の手続き?国民のリンチ?絶対多数の絶対悪ってのの歯止めには何があるのかなあ?原住民虐殺だって市民のリンチだって民主的な手続きかい?この辺が政治家に倫理や哲学が必要な所以ではなかろーか。拙速が巧遅に勝るのは、フィードバックが効くときだけですね。後戻りの効かない決定は、ぐだぐだグダグダ考えるほどヨロシイ。原爆投下とか参戦とか増税とか。


 
 それに現場主義の功罪ってあるよ。階層化の最下層では現場主義が極めて有効でげす。実際の実行レべルではね。局地的戦闘みたいなのは現地司令官に決定権を委ねるべき。でも階層が上がるほど決定の影響も功罪も大きくなるんすから、特定の現場だけではなくって、空間的にも時間的にもかなーり広く想像力を駆使しなくてはいかんぜよ。過去に学び未来を予測し、他国他地域を参考にし、あれこれグダグダと迷いに迷わなくっちゃおつむが付いてる意味がなーい!知的弱者や多動症患者はこのような逡巡に耐えきれず、キレてしまうのです。ドッグイヤーとか蚤の心臓とか言ってないで、おたおたせずにもっとデーンと構えんかいっ!ども。








 たつるちゃんおフランスから、ドイチュ、スイス志向に変ず:


「職人芸が社会基盤としてすぐれているのは、たしかな技芸は富や権力や情報の偏在を決して志向しないからですね。昨日はCulture oblige「教養は命じる」 という言葉を思いつきましたけど、今朝思いついたのはArtisanat oblige 「技能は命じる」。結局僕がこの年になって自分の基盤にしているものって、「合気道」の技芸と「書く」技術の二つだけですからね。この二つは「伝えることができる」ので僕の生計と矜恃をともに支えてくれています。自分で書いておいてあれですけど、「職人芸基盤社会」にしません?日本の制度設計。「知識」はダメです。当てにならないから。政治イデオロギーとビジネスにいいようにされちゃうから。クラフトマンシップはその点がたしかです。「うっせえ。こちとら寛永年間からこのタレで煎餅焼いてんでえ」みたいな。」