9月8日(火)草露白(くさのつゆしろし)。社会に生きるのなら政治は必須です。

 高層雲の晴れ。27℃~34℃、55%。南風やや強し。夕方黒富士が見えた。

 二十四節気の白露と七十二候の草露白は似たようなものだすぅ。要するに露が宿る頃ですね。二十四節気を初候、次候、末候の三つに分けたのが七十二候で、ここから気候というコトバが生まれました。季節は5日ごとに移り変わると。

 

 誰のための政治か?

 「国民の国民による国民のための政治」が民主主義の根本原理なんであーる。間接代議制は単なる手段にすぎません。代議士に政治を委ねたらそれでお終いというわけではあーりまへん。国民は絶えず政治に関心を持ち、国民による政治を志向しないと為政者による為政者のための政治に堕してしまいます。

 つう見地から、すべての国民は、芸能人であろうと、アスリートであろうと、政治の素人であろうと、ミーハーであろうと、誰であっても政治に関心をもって参加しないと、民主主義なんてすぐに中国や北朝鮮になりますよ?そこんとこヨロピク。

 為政者は絶えず国民を操ろうとしていますから、自分たちを守るためにも政治への関心は国民に必須の資質でしょう。昔の為政者の言葉を再度掲げて置きます。

 

添付:ナチス元帥ゲーリングの言葉:ときどき思い起こさねば、大変なことになりまふYO!

 戦犯として刑務所に収容されていた時、ゲーリングは、米国の心理学者グスタフ・ギルバートに次のように語ったと言ふ。

 以下引用、『ゲーリングは、肩をすくめて答えた。「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それはわかっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」

 「しかし一つだけ違いがある。」と私(米国の心理学者、ギルバート)は指摘した。「民主主義の下では、国民は選挙で選んだ代表を通して意見を言うことができるし、アメリカでは議会だけが宣戦布告できる。」

 「(ゲーリング)それはそれで結構だが、意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」(翻訳:鈴木)』

 知識こそ力!何も知らなければ、人々はこのような指導者たちに、ただ操られるままなのれすぅ。ザンネン