5月19日(月)春になったら 人付き合いが復活して 断酒が断絶しるこの頃

 もくもく雲の多い晴れ。17℃〜25℃。でも湿気が少ないので、ツカイスリーは良く見えた。




 久しぶりに早稲田方面に進出す。学食は不味くて有名なので街のラーメン店で夕食、また旨し痒し。





 街考:或る街角でのThat's done!


 パリが単なるグルメの街だったらあんなに人は集まらなかったと思ふ。いろんな芸術が隅々まで根を張っているから、それが街の深さを醸し出しているんだと思ひまふ。アート(芸術、技芸、技術?)こそが文明なんだろか?では、その土地の固有のふいんき(なぜか変換でけない)はアートではナインかな?いやいや大きく捉えれば、真っ赤な夕日や存在感のある山なみなどの大自然もアートと言へるのかも。事実は小説よりも奇なり、いや自然はアーティフィシャル(人工)よりもアートなり!つう格言もあったかな?ぷ

 その自然と文明の接点でこそ芸術が生まれると言ふ人もいます。一方、人間を中心に考えれば情動に穴を穿つものこそアートだっちゅう人もおります。日常への埋没からの脱出経路、非日常への枝道こそがアートだと。定型作業や慣れ、退屈からの逃走!今までに無いまったく新しい見方、経験を与えてくれるもの、世界の拡張!何と言っても驚きと感動がなければ何が己の桜かな♪でもね、それには受け手の状況や状態と積極的な参加意思がなければダメだろ?→そりゃそーだ!アートはなんつっても相互作用的な作業でござることよ。ぷ

 浪速友あれ送り手と受け手の双方が面白くなけりゃあそれは全部クズだよね。号何十万円とか芸術院会員とか箔が何ぼのもんじゃい!箔はそれが剥がれるまでの短期的市場価値であって感性を揺さぶる根源的な価値ではナインだすぅ。

 うんうんうん、おもすろくなけりゃあアートはなんなる金銭価値に堕するよね?でもね、おもすろいとか感動とかは個人依存性がつおいんじゃね?まそりはそーだけど近年特に経済効率性ってのが強調され過ぎてるきらいはあるな。そりは科学もまったくおんなじれすね。最近は官民こぞって役に立つとか、お金になるとか、著名な賞を取りやすいとかが動機になってるのは認めるよ。でもまず食ってくことが基本だよな〜(双方)。ショボーン










 人って周囲の人間からボロクソに言われている状況にどれくら耐えられるものなんだろうか。しかも、そのボロクソに言ってる人を人たちを助けるために堪えれるのか?これを考えると我が人格の卑小さに耐えられなくなるんす。ショボーン
いや単なる思考実験なんすが。