1月22日(土)区切りはあるが終わりはないとは。

 真っ青な空の冬晴れ!-0.1℃~9.9℃、27%。9000歩。乾燥した日は遠くまで見える。

 早稲田方面に進出す。脇を通りかかって、むかし五木寛之が貧乏学生のころ穴八幡の社の下でホームレスをやってたという話を思い出した。いい時代だったんすねぇ♪

 コヴィッド情報:東京都の新規感染者数は11227人、全国では約5万5千人。とうとう都は1万の大台に乗せてきますたよっと。早くピークを打ってオミクロンが自壊してほすいもんだすぅ。とか願望に頼ってるとろくなもんでもないな。そろそろ救急体制など医療崩壊の兆し。

 

 終わりよければ全て吉とは:

 これは全くありえない格言なんすね。そもそもめでたしめでたしで終わるのは物語の世界だけで、現実には終わりなどの区切りはあーりまへん。終わりがないのですから、それが良いも悪いもありません。それにすべての出来事は塞翁が馬で因果が糾える縄のように繋がっているんですね。

 んじゃ、しむのは終わりじゃナインかね?つう疑問が湧いてきますが、それは中断であって最終的な終了ではあーりまへん。結論のない断絶に過ぎないのです。そりは全ての出来事に共通で、人間のやることに終わりや完成はあーりまへん。すべての芸術や科学研究、あらゆる仕事にも終わりはあーりまへん。もちろん物語にも終わりはないから、実際はだらだらと続いて行くわけです。

 と言う意味で、シジフォスの苦行は全人類いや生きとし生きるすべての生命が担っていると言えるでしょう。だってこの世界には場面場面の途中結果があるだけで究極の終わりや完成ってナインだもーん。

 つうわけですべての人間の行いはプロセス主義にならざるを得ないんすね。ザンネン