2月10日(月)最近は小説を読んでないから感性がしぼむなり

 薄くもり&薄晴れ。4℃〜8℃。雪は大分融けましたが、日陰には薄汚く名残雪。






 どうやって良い人生を送るべきかを考えすぎて、実際の生活がつまらなくなると言ふ裏腹。




 小説とは:大説ではないものであーる。

 漢文で公を語る大言壮語とちがって、小説は口語で語るごく私的な感慨ってな説もありまふ。これは西洋にもあって、書き言葉であるラテン語と違って、口語のロマンス諸語で書かれた文がロマンス(小説)と呼ばれマスタだ。文学はその国の言葉で読まれなければホントの理解はでけないっつう本音もありますね。概念とか情報としては翻訳でも構いませんが、芸術としての文学表現は言語依存が大きいと。ノーベル文学賞があほらしい所以ですぅ。翻訳文学って、まるで写真で撮った彫刻のようなもんだすぅ。

 全体と個を繋ぐのが文学である!つう意見もありまふ。あらゆる文化現象はみんなが幸福になる為にあるのだぁ!しかるに全体が幸福になることはむずかしい。多数の幸福の為に個々の人間が犠牲になることがある。その個を救うために文学があるのだあああああ!つう正論ももちろんありまふ。

 すなわち全体に押しつぶされる個としての叫びが小説なのであーる。全体として幸福になる倫理やルールより個々の想いを救うから小説はときにいかがわしいし妖しいふいんきを醸しまふ。一般に人の生活とはすべてが清廉潔白ではありませぬ。「ああ、ここに一つの人生がある!」つうバルザックの叫びもありまふ。おもすろい話を思いついたから人に聞いてもらおう!ってミステリーな動機もありまふ。またあるときは、良い言葉を綴って乱れを正そうなんて大それた思いもあるでせう。公(おおやけ)とは別の角度からものを見ることが、実は公の為にも大切なのれすねィ。

 小説をたくさん読むのは生活を楽しくさせてくれるし、イロエロな見方を提示してくれまふ。居ながらにいくつもの人生を経験させてくれるでせう。無駄な知識をたくさん溜め込むよりも小説を読みませう。知識は日常生活の充実やちょっとした新しい発見に使いませう♪論理、合理な理性には、それを補う美意識を養う芸術が必要なのれすね。

 とは言いつつ、あんまし小説を読み杉ると定型観念のパタン化が生じますから、それを裏付ける経験が必須でしょう!アチョー!ダハハハ