1月13日(水)20世紀の愛・知(Philo-sophy)についての暫定まとめ。プ


 こんにちは。空っ晴れ(からっぱれ)。鹿児島にも雪が
降ったとか。2月26日(ニーニーロク)には2倍せなならん
けどね。腐った世相に官憲突入。プ







で、っていう。
 20世紀哲学はヘーゲルへのアンチ/擁護の中から始まったと
ゆわれている。ヘーゲルギリシャ以来の哲学を体系化し
完成したと言われてます。でも
、完成しちゃったら学問はそこでお終いですよね。プ 






 ヘーゲルは時のアカデミズムの中心にあって権威の象徴、
ベルリン大学の学長だったからアンチは殆ど在野から出てます。
キルケゴールマルクスニーチェなどですね。一方、擁護は
大学の中で既に権威になっていたカント哲学に依拠して新カン
ト派を構成してました。でも、やはし在野の方がインパクトが
ありましたね。プ









 ヘーゲルを敢えて一言でいへば、「現実の世界は神の国
なりうる」つうもので、理性が歴史を支配し、個人はみんな
自由になーると言う超楽観的なものであった。で、マルクス
は理性なんかぢゃ無くって団結で理想世界を築こうよ!と。
キルケは理性(の狡知)なんかぢゃ無くって、人間は単独者
として実存すべきだああ!で、ニーチェヘーゲルが仄めかし
ていた神の人間化からホントに神を頃してしまって、ついでに
人間も消滅させ超人の誕生を渇望したのでした。









 新カント派の認識論は科学技術の実証主義に結びつき、客
観的な検証の再現性に結び着きましたが、これらは生の一回性
を基礎とする「生の哲学」と対立しました。歴史学なんかも
一回性の縛りはありますね。幾ら歴史は繰り返すとかいっても
それは似てるだけで、歴史にイフはあーりません。








 一方、認識論に存在論を絡めた「現象学」という方法論が
思考の有効な手段として登場したことも特徴の一つでせうか?









 ま、哲学者自身は「おれはそんなんぢゃねーよ!(怒)」
とか否定しますがイロエロなレッテル貼りが流行ったのも
この頃ですね。曰く:
現象学、解釈学、生の哲学(この辺が漏れの興味の対象)、
分析哲学実存主義、エピステモロジー、批判理論、構造主義
(これにも興味蟻)、言語論的転回、ポストモダン(百家争鳴)
心の哲学(これも興味の対象)とかとかトカちゃん。ま、
誰が何をいつどー考えたって、それは自由ぢゃあああああ!







 自己同一性から差異の主題化へ、これも特徴かな?










追記:近隣ブログの感想
香織たんがブログで中国の真贋事情を語ってた。




 中国に偽が多いのは確かですね。お札だけではなくって、
何でもあります。ブランド物は言うに及ばず、タバコや酒類
など、食料品、自動車、オートバイ、家電などなどあらゆる
ものに偽があります。書画や骨とう品は定番。CD、DVD
なんかのコピー。人間にも偽(戸籍を偽ったりするの)が
あるらすいぞお。中関村あたりに行くと偽の領収書売りが
いたりして、これが有名大学の卒業証書を売ってたりもしま
す。タハッ  





 だから、デパートでも銀行でも必ず偽札判定機が置かれて
いて必ずチェキしてますね。偽を掴まされたら自己責任、ババ
みたいに次の人に掴ませなければジビンが泣きを見るだけ。
銀行で金を下ろした時はその場で、そこに設置してある偽札
検出器にかけて目の前でチェックしなければ、後でどんなに
泣きついてもぜってー替えてくれまへんよ。プ







 なんか変な社会に見えるかもしんないけど、ネット社会だっ
ておんなじようなものかもね。偽物・偽者が横行してるし、
誰が作ったか分からんヴァイラスが蔓延ってて、それには
自己責任でウイルス検出ソフトを買ってこなくちゃなりま
へん。トホッ








 しかし真か偽かって意外と深い意味がありそう。何しろ
「神の目」を持たなくっちゃホントに偽かなんてわかんないん
ですから。「偽」と見破られるまでは「真」なんだ。でも、
真ってなんだ?そんなものがあるのかい?ってな相対主義
深淵も待ってるし、自分自身が偽物なのに真贋判定なんて
でけるのかYOー! いああああや、正義・正論だけが正しい
のかよー! ややや、しっちゃかめっちゃかの悪寒。








 人(ヒト)と他人(ヒト)とが騙しあい♪ 人と人とが
支えあう♪ これが活力のある社会の実相かも試練ねえ。(爆)