1月19日(火)もっと気軽に、現代哲学へのお誘い、かな?

 こんにちは。晴れ。風もなく温か。
梅は咲いたかぁ♪ 桜はまだかいなあ〜♪







 (個々の生物が受精卵から成体に生長する)個体発生は
生物進化の系統発生を繰り返す、という「反復説」は進化論
のダーウインに触発されたヘッケルによって提唱されました。
ヒトの受精卵も単細胞から分裂を繰り返し、ナメクジのよう
なもの、魚のようなもの、両生類、と変化して30日位で
哺乳類に達します。その後、類人猿を経て毛が抜けて人間の
赤ちゃんが出来るとか。不思議ですねえ。








 さて、赤ちゃんはどのように自己認識するのか?は発達
心理学などで研究されていますが、まづ自分の身体の範囲と
他者の身体の認識がおきると。それから主に母親の視線を
通して三項関係(私とあなたと第三者)の理解、さらに鏡を
覗くことによって、それが自分だと認識できるようになりま
す。そして更に社会と自分との関係、世界と自分との関係
などから自我が芽生え、数度の反抗期を通して周囲と自分
との関係を確かめて行きます。で、最後は「おのれの欲する
ところに従いて則(のり)を越えず。」とかの自他一体の
境地に達せればスゴイなと。プ








 このように「私」、「自己」というものの個体発生の中で
、主体・主観というのはアプリオリで、自明なものではなく、
身体や他者との関係の中で徐々に形作られるものであーる。
という認識が無意識世界の発見とも相まって、ドゥルーズ
などの現代フランス哲学にて主流となってきたのでした。








 従来の哲学は「主体の概念」を前提として、それを基礎と
して始まりました。


デカルト:方法的な懐疑でも揺るがない最後に残ったものは
     コギト、意識としての自己(我)であーる。
カント :感性、悟性、理性をまとめる形式としての主体(
     統覚)。認識主体ともいう、先天的なもの。
フッサール:現象論的還元を以ってして認識する超越論的な
      主観性。などなど



 一方、このような観念論を排して精神と身体の二元論から
身体と融合した精神という一体化により、新しい知見を求め
たのが現代哲学の一つの流れであります。


「主体とは、あらかじめ前提として存在するもので
はなく、それとは別のところ(プロセス)から事後的に構成
されてくるものである。」(ジル・ドゥルーズ






 それにね、哲学の高みから諸々の事柄の本質を分析してや
ろうというタカビーな姿勢から地上に降りてきたことも一つ
の特徴でしょうか。すなわち、芸術論や文学論も思考すると
いうレベルでは全く対等であーる!哲学は概念を以って思考
するが科学は数学を以って思考する、シネマは映像を以って
思考するし、音楽は演奏を以って思考するのだあ!とか非常
に広々とした考え方でしょ?どーです、諸君も少しかじって
みてはいかがでしょうかっ。
まづは、『記号と事件』ドゥルーズなんかいかが?