2月26日(土)哲学な休日(でもさぶかった)

 こんにちは。一転寒風吹きすさぶ冬晴れ。変化の激しい
この時期、皆さんも充分ゲズントハイト。















 友達の友達の赤の他人の知り合いに若手哲学者がいて(
哲学界の若手って20代ぢゃないことは確かだが)、その人
を紹介してもろて銀座でお話しを致しました。ためになった。
心から為になった。そりを職業としているしとは安易なディ
レッタントと違って、言う事にいちいち身体性がある。(
つまり自分の存在がかかってると。)脳神経科学的な唯脳
主義が木っ端微塵に打ち砕かれてエエ気持ち。


















 科学ってデカルトの二元論から一歩も先に進んでいないか
らね。分析する主体と、分析される客体。では分析する主体
そのものを分析でけるのか?これが科学の弱点。かく現れる
自分自身の内省を如何に記述でけようか?ひょっとしてこり
はもう「無記」の範疇化もね。























 世の中に正常も異常も無いとすれば、健常も障害も無いと
すれば、異常を補正し障害を助ける謂われもない。むしろ、
異常者、障害者自体に向うのではなく、関心は異常とするも
の障害とするものへと向うべきでせう。それらを異常とし障
害とする思い込み、常識、自明の理自体を見直すべきです。
Ex.)障害者を背負って一時的に手助けするのではなく、障害
を際立たせている段差や穴を解消すれば、その点においての
障害は解消される。
















 つうような話を3時間してたら、哲学的に考える本質を少
し垣間見たような気がした。自分の無知蒙昧に気がつき「無
知の知」を悟った一瞬が得がたい一刻としてわたしのエピソ
ード(脈絡の連鎖)に付け加えられたことを記念して記すな
り。科学的素養のある人は「デカルトの呪い」に罹り唯物論
唯脳論)に陥りガチれすが、世の中そんなに単純ぢゃあり
まへんよと、諭されるかな。タハハ

















ハハ