3月17日(日)彼岸入り。願望とは願い望むことなり。

 もやもやと霞晴れ、夕方から薄っすらと靄曇り。9.8℃~21.7℃、42%。南風強し!

 昨日は外出したから目頭がかゆかった。今日は用心のため家に逼塞す。お陰でくしゃみも出ないし、眼も痒くない♪やはしアレルゲンは元から断たないとダメですね。

 

 願望は毒薬か:

 個人にしろ国家にしろ、願望に振り回されると冷静に事実を判断できなくなる。それくらい願望というのは強い幻想を与えるんですね。

 すべての戦争は願望に発している、といっても過言ではありません。「勝てるかもしれない?いや勝てるだろう。いやいや絶対に勝てるに決まっている!」とエスカレートして、戦争に突入するんだすぅ。ザンネン

 近々のロシアのウクライナ侵略はこの典型例ですね。プー珍が1週間くらいの電撃作戦でウクライナを倒し、傀儡政権を樹立でけると願望していたのは確かであーる。

 一方、自爆的な戦争開始もありえまふ。このまんまじり貧で衰退するのは潔しとしない。敵わぬまでも一矢報いたい、つうのはテロか無謀な攻撃となりまふ。相手も反省して、すぐに講和に出るだろうといふ安易な願望ももっちろーんありまふ。

 近々のガザ戦争がこの例ですね。昔の大東亜戦争イスラエルからはこの例だとされてまふ。両方とも相手が鬼畜だと、赤ちゃんも含めた凄まじい虐殺に晒されまふよ。

 つーことで「願望」が如何に毒薬だったかの一端をお示し致しましたが、「潜在的な願望」はもっと質が悪いということも付け加えておきませう。こりは自分も周囲の人も気が付かぬうちに、願望の害毒はすべて振りまいてしまうという(毒の効果という視点からは)優れもの。

 即ち、我々生きとし生きるものは、「願望(欲と言ってもイイのかな?)」に振り回されるものなんす。だから氏んで始めて欲から解放された「仏(ほとけ)」になれると。アッチャー!