12月5日(火)納めの水天宮。知るや知らずや無い袖を振る。

 寒曇り。5.7℃~9.8℃、54%。3500歩。昼間は10℃に届かず1月中旬の気温。ようやく冬らしくなってきますたが、またすぐ20℃超えの予報。

 

 なぜ何でも知っていると思てしまうのか?

 この理由は極めて単純です。知らないことは無いも同然だからです。自分が知っていることが全てだと思い込んでしまうんですね。これを自覚しているひろゆきさんは偉いですぅ。

 「ひろゆきさんは物知りですね。なんでも知っていますから。」とゆわれたら「いやいや、知っている事しか喋りませんから。」と答えてますただ。普通の人(普通ってなんだ?)は自分が知ってる世界が全てだと思てマスカラ。

 実際は一人の人間が知り得ることなど、世界の0.1%にも満たないことは自明です。何しろ毎年日本で出版される本は10万件にもおよび、世界中では100万件近い本が出版されてまふ。その内のどれくらいを読めるのか?いやいや世界の事象全体で本に記述されるのは極わずかですから。

 アカデミアの世界でも専門性が細かく分かれてきて、とても全体を見渡すことなどできません。科学の「科」にしてからが分類された区分を意味しますから、科学はどんどん細分化されて行きます。それ故、「群盲象をなでるの図」となるは必然!

 つうことで、我々はこの世界のほんの一部を垣間見ることしかできないんす。それを自覚したのが古代ギリシャで発祥した哲学の大本である「無知の知(自分が如何に世界を知ら無いかを知っている)」なんすね。そこからこの世界をもっと知りたいという知への愛が生まれるんですぅ。

 んで、モノホンの学者はみんな謙虚です。知ったかぶりして威張ってる輩は似非学者と言ってもいいでしょう。かな?