6月14日(金)デクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず ・・・

 晴れのち夕方から雲でる。18℃~27℃、52%。暖か。

 未だ少し咳が残るも、気分は大分良くなりまひた。やはし、時は全てを癒す♪ですかねぇ?でも、老化つうのもやはし時がもたらすもんだすぅ。ザンネン

 

 

 大きいことはイイことだっ:大人(たいじん)とは自分を勘定に入れない人である。

 大賢とか大愚ってのはなんとなく好ましいよね。枝葉末節の細かい賢さや愚かさではなくして、ものすごくでっけーことに関しての賢愚ってのは両方とも自分のことから離れてるからイイんであーる。反して、小賢しいとか小馬鹿ってのは自分のことだけに執着しているからそのイメージはあんまし良くありませんです。はい。

 哲学の大本は「自分は如何にものごとを知らないか、を知っている(無知の知)」というソクラテスから始まったと言っても過言ではありますまい。その自覚があればこそ、この世界を知りたいという願望(知への胸苦しいほどの愛)が芽生えて、思考を深め得るのです。

 こりは言い方を変えれば、「自分は如何に愚かであるかを知る」ということですね。ベスト&ブライテストなんて言われて喜んでるような人が、ホントは小愚なんすよ。自分は賢いなどと思てるから、それ以上の発展性があーりまへん。そして賢く見せようと呻吟して「やってる感」を出すことに勤(いそ)しみます。この世界に真の正解なんてナインだよ!と思えば、あんましカッコつけなくなるし、却って自由な思考がでけるかも知れませんねぇ。

 AIですべてが整合されてしまうような世界においては、愚かさこそが人類の救いになるのかも知れません。でも、この時の愚かさはこせこせとした細かいものではなくして、敢えてリスクを取るような大きな愚かさでなくてはなりませんです。はい。