10月31日(火)ハロウィン。芭蕉忌。たまには言いたいことを述べてみる。

 もくもく曇り午前中ほんの少し晴れ間。13.5℃~20.9℃、53%。6200歩。雨は降りそうで降らなかった。

 ハロウィンと芭蕉忌が同じ日だったと気づいた日。なにしろ近年ハロウィンが急に盛り上がって来ましたからねぇ。渋谷の警備が過剰なのは韓国の人出事故の影響か?渋谷から新宿や原宿、秋葉原などに分散して人出を調整中。

 

 専門性と一般性の相克とは:

 今日はちとむずかすい話題です。正解のない課題の一つが専門家と一般人の民主主義における位置づけです。素人の一般人が選挙でその代表を選び、専門家集団である官僚を支配する構図が出来上がってから久しい。

 その間、日本は凋落の一途を辿っているのは諸データによる事実が示している。経済だけではなく、学術、芸術、演芸、教育、倫理、道徳などあらゆる面で劣化が進んでおりまふ。いい点も多々残ってはおりますが、全般的に概観するとこのような結論を下さざるを得ません。

 特に政治の劣化は目を覆うばかりで、利権構造が政界全体を覆っておりまふ。政府の介入は本来、公共の利益のために行われるものですが、政府の介入で一部の利益が推進され、国民全体の利益が損なわれることを「政府の失敗(Government failure)」と言います。これが頻発しているのが日本の現況なんですね。

 特に再生可能エネルギーの分野でこの現象が顕著です。太陽光発電や洋上風力発電などで利権構造が発生し、汚職が頻発しておりまふ。それが高い電気代となって国民生活を圧迫し、国民の福祉を阻害しておりまふ。アッチャー

 このような事態は国民の代表を称する世襲バカどもが、専門家集団を忖度集団に変えたためと考えられまふ。こりが「ベーアー・ガースーの改悪」として歴史に刻まれますただ。官僚の人事を完全掌握したことが改悪の始まりでした。こりは官僚が政治家を操った前政権の反動として、制度化されたことですから、歴史は全て繋がっていると言わざるを得ません。

 ともあれ、専門家と一般人代表(政治家?)の最適分担というのんが民主主義を機能させる最も重要なイッシューであることは言を待ちません。かな?アハハハ

 

 追記:一方、「法律は死んだ」という事態も進行しておりまふ。こりは法律が実態に即さなくなり、誰も法律を守らなくなった状態を言いまふ。すなわち憲法を誰も(特に政治家が)守らなくなりまひた。実質的に軍隊を持ったり、議員が憲法を順守しなくなったり、しやわせ追求権を無視したりと。