8月9日(水)長崎原爆忌。涼風至る。環境は必ず変化しまふ。

 荒れた曇り、ときどき驟雨、ときどき通り晴れ。26.5℃~31.8℃、75%。4600歩。湿度高く蒸っし蒸し。(七十二侯からは少しズレて涼風には程遠し>)

 トルーマンが原爆の残虐性にもう少し早く気が付けば、長崎被ばくは無かったかも?小倉が曇っていなければ長崎被ばくは無かったかも?歴史はifの固まりです。

 

 良いとこ取りはいけません:

 一時は全盛を極めたJIT(ジャストインタイム)方式は在庫縮減、コスト極小化で日本企業の競争力を高めました。すかす海外生産がコストダウンの主流になると次第に廃れてきましたが、一部業種では未だに有効性を保っておりまふ。

 がっ、平時には良かったことが変事には足かせになりまふ。即ち災害やパンデミックなどで生産の擾乱が起きると、その弱点が極端に露呈するのです。ジャストインタイムが部品の欠品を招き、生産ラインが滞ってしまい大きなロスを発生させます。

 少し多めの安全在庫を用意して、突発事態に対処できるようにするのがトータルでは最適だと言えるでしょう。これは特に海外生産が増えると必須になりまふ。

 また医療システムでも同様の問題が顕在化しました。医療設備や医療スタッフの最適配置で、効率の良い医療を目指すのは平時には有効ですが、いったんパンデミックが発生すると医療崩壊を惹起します。多少余裕を持った医療運営が必要です。こりは平時に在って変事を想う想像力の問題です。

 またこれらは本来利益を目指す民間ではなくして、公共医療の果たす役割だと考えます。公共医療まで効率一辺倒だと、パンデミックなど変事には対応できません。欧州でも、公共医療の考え方で医療崩壊した国と、なんとか崩壊を免れた国とに分かれました。日本はどーだったかな?新自由主義自治体では、医療崩壊が起きていたような気がします。

 いじょ、いくつかの例で考察しましたが、何事もバランスが大切だと総括でけるでしょう。かな?