1月28日(土)旧七草。「かの国でわ」それが常識!とは。

 白っぽい晴れ、夕方から少し雲出る。0.4℃~8.3℃、22%。3100歩。北西風やや強し。

 

 出羽守とは:

 元々は官位であったが後に自称他称するあだ名みたいなもの(武家官位)になった。実名を言うのが禁忌とされたから官位で呼ぶのが習慣化されたのですぅ。「出羽殿」「安房殿」とか。

 中でも出羽守はその呼称が現代まで引きつがれ、外国かぶれの異称とされる。元々の出羽守は出羽が領地であった最上氏だったが、武家官位では堀田出羽守。坂崎出羽守、柳沢出羽守が著名である。

 現代でも海外に行ってそこの文化・習俗にかぶれた人が、「~でわ」などと多言して顰蹙を買う事例を揶揄して「出羽守だね~」と呼ばれまふ。なにしろ日本には無い出来事ばっかしだから、すっかり心酔してしまうんすね。アリャリャ?

 こりは文化間の情報伝達としていい面は多々ありまふが、部分的につまみ食いすると害になることも多いですぅ。先般取り上げた「成果主義」なんてのもその一つです。確かにアメリカのような雇用流動性が大きな社会では、成績査定する側と査定される側の労働市場における均衡があるので変な査定をされたらその組織を去って、より高評価してくれるところに転職すると言う道があります。

 雇用流動性が無いまま徒にアメリカでは大成功しているなどとして、軽はずみに導入しても成果の上がらない成果主義になってしまうんすよ。こりはあらゆる事例に共通した弊害です。導入するのなら部分ではなくして文化習俗全体として持ち込まないとならんのだすぅ。次善の策としては、全体の整合性を考えながらその国に適したモディファイを盛り込まなくてはなりません。

 ビジネスモデルばかりではなく、文化や芸術、翻訳などあらゆる分野で、導入に際しては全体と部分という見地が必要になるでしょう。ども。