1月7日(土)七草。すべてに善悪の両面性があるとは。

 今日も白っぽい薄晴れ。3.0℃~10.4℃、45%。2400歩。さすがにずてぃんしゃで走ると耳がちべたいですぅ。

 

 恒例の七草粥を食す:

 大根と蕪以外はそのへんに生えてた雑草を高く売ってまふ。季節をも商品化する商業主義の逞しさヨ!・・・せりなずなごぎょうはこべらほとけのざ。その昔、東京でも、せり以外は空き地の草むらに生えてたですよ。近郊行けば、田んぼのあぜ道にせりも生えてたなぁ。空き地がなくなり、畦も除草剤で草が生えなくなって、今では畑で七草を作って売ってまふ。アリャ?

 

 科学主義の始めとは:

 こりはデカルトの二元論に始まるという人もいる。すかす、遠くギリシャの昔までさかのぼれるという説もある。アルキメデスユークリッドを見るとそー思うかも知れまへん。

 がっ、古代中国では紙や火薬、印刷など近代をけん引するような発明もありまひた。西欧が暗黒の宗教裁判に嵌まっていた頃は、アラブ世界が化学や数学を引っ張っていたですよ。

 でわ何で西欧に突然科学技術と産業革命が湧きおこり、世界を席巻したのか?それが謎でした。つらつらとこの辺を考察するに、そりは宗教や文化的な起源によるところが大きいと推察でけまふ。

 まづ古代中国には、単発の大発明は多々あれど、それらを統括する体系的な学問がありませんでした。それが科学技術の発達を阻害したと考えれまふ。一方、中世のアラブ世界はギリシャ・ローマ世界の知的後継者としてそれらを継承しましたが、イスラム一神教の影響が強く、自然を体系的に理解しようとは思いませんでした。すべてムハンマドの預言によって解釈されたからです。

 一方、西欧世界も一神教でしたが、デカルト、カント、ヘーゲル以後に自然の体系的理解が進んで、それが学問としても体系化されることになりまひた。いわゆる「体系化」が一つのキーワードになります。一端学問が体系化されると、その体系(システム?)は自ら増殖し始めます。それが科学技術の大発展を生んだと推論されるんだすぅ。

 同じ一神教なのにイスラム教とキリスト教はどんな違いがあるんか?イスラムの教えは神の言葉を預かった預言者の言(コーラン)にしばられていまふ。一方、キリスト教は神学による論理的な基礎づけが大きな影響を持ちました。その中に理神論というのがあって、そりは神が世界を創ったのだから、大自然を研究すれば神の意図が判明する、というものでした。(理神論の系譜:スピノザヘーゲルガリレオニュートンアインシュタイン。)

 それでみんなが神の意図を知ろうとして、自然を研究したので自然科学が発展したんだすぅ。どや?当たらずといえども遠からず、だしょ?・・・ん?ん?ん?でも自然研究て切りがないやん?・・・そそそそそ、でも神の意図もそがいに早く分かったら世界が終わってしまうやん。かな?かな?かな?

 すかす、科学技術の発展がすべていいのか?っつうとそーでもない。生物絶滅兵器や環境の大破壊も科学技術の所為だと考えれば、神の意図もけっこう厳しいものがアリマスネ?ドリャアアアー!!!