10月24日(月)霜始降。生物は環境に縛られず移動がでけるんだい!

 概ね寒曇り。17.2℃~11.9℃、65%。昼間は15℃を上回らず、低め安定。北東風やや強し。

 今日のCOVID状況:都の新規感染者数は1735人で前週より9.3%の増加、重症者は33人、死亡3人でした。もうこのレベルをふわふわ漂って、次の第8波に移行するのかな?

 

 構造主義的進化論とは:

 機能(目的?)と構造(仕組み、形態、道具?)とでどっちが1義的に優先するのか?っつう論争がありまふ。機能が第1義であって構造は何らかの機能(目的?)を遂行するために存在するというのが機能第1主義で、構造が第1義であり機能は構造から派生する付随的な性質であるというのが構造第1主義でありまふ。

 人間社会に住んでいると周りの物はほとんど人間に役立つために作られているので、つい機能第1主義に傾きやすいです。すかす大自然や宇宙の存在物は何らかの目的(機能?)を遂行するために存在しているのではあーりまへん。例えば、太陽は人間の為になってますが、それは人間を生かすためではなく天体運航システムに伴う隋伴的な機能にすぎません。

 一方、生物業界では機能第1主義がはびこっており、生物の構造は何らかの機能を遂行するためであると主張する人は多い。すかす生物は繁殖や生存の為に作られたのではなく、構造がたまたま生存や繁殖に適していた為に続いていると見ることもできる。すなわち機能(目的?)は後付けなんだと。イロエロな構造が突然変異で発生し、続くのに都合のいい物だけが残ったと考えることもできる。

 人が作った道具はその機能を目的として作られたが、人体の各器官の機能はたまたま変異して作られ、その構造が生存に適したものだけが残ったと考えられる。道具のように始めからその機能を目的として作られたわけではないと。だがしかしダーウィン自然淘汰説は機能(目的?)が自然選択を介して構造を徐々に、機能に適するように変化させると言う意味では、機能第1主義と言えるでしょう。

 この自然選択による適応と言う考えは、環境を固定して考えています。偶々突然変異である構造ができて、それが環境に適していなかったら生物は移動して構造に適した環境を探すことができます。植物でも種子や花粉を介して移動できます。このように考えるとまず構造が出来て、それに付随して機能が与えられると考えることもできます。

 生物はまず適応とは無関係に構造が変わる。この構造が余りにも不適応だと死滅して残らない。すかす全ての器官が適応的でなくても生物は生き延びられる。これは現生生物を観察すると良く見られるところでありまふ。つまり適応とも不適応とも言えない器官がたくさんあることが分かるんですね。

 また例え不適応な構造があったとしても、場所を変えてしまえばその構造に適した環境があるかも知れません。構造第1主義で考えた方が現代社会でも適応的に生きれるかもしれませんね。すなわち環境(会社?)に合わせて機能(自分?)を適応させるよりも、構造(自分?)に合わせて環境(会社?)を選択することもでけると。これぞ構造第1主義の要諦だすぅ。(いじょ、池田清彦の「構造は機能に先行する」より)

 

 そー言えば細菌や微生物や多細胞生物の共生関係を見るに、生物は環境に適応するのではなくして、環境を選んで移動するということが良く分かります。何事も固定した考えではいっけませーん!かなかな?

 例えば真っ暗な深海にすむチョウチンアンコウの提灯の中には発光微生物が住んでます。それで提灯を発光させて餌をおびき寄せるんですぅ。んでチョウチンアンコウの卵は水面に浮いて孵化します。幼魚も水面を漂います。この時には発光微生物は何処にもいません。幼魚が成長して深海に戻ると、その提灯の中にはいつの間にか発光微生物が住み着いています。つまり提灯の中の環境が発光微生物に適していたから、発光微生物が移動してくるんですね。移動は適応より強し、の一例です。