7月24日(日)桐始結花(キリの花が実を結ぶ頃)。心理的実在とは。

 晴れ時々曇り。24.9℃~32.8℃、56%。2200歩。遠方のもくもくした白雲の夏空とウロコ雲の高い秋空が混在する季節。南風少し強い。

 今日のCOVID状況:都の新規感染者数は28112人で前週より58%の増加、重症者は79人、死亡2人でした。オーケストラ演奏会の券をもろてたんすが、感染拡大にビビッて行きませんでした。ザンネン 大相撲は未完の大器@逸ノ城が初優勝♪各界もオミクロンに席巻され、多数の休場者を出しながらなんとか「お相撲の歌」までこぎ着けて一安心。

 

 フィクションとは嘘のことなり:

 事実は小説より奇なりと申しますが、ノンフィクションも殆ど嘘のようなもんです。もちろんフィクションは嘘の塊です。でも我々は嘘と知った上で、その物語を楽しむことができます。SF(サイエンス・フィクション)ももちろん嘘ですが、タイムマシンとか生まれ変わりとかの嘘を、その設定の限りで楽しむことができます。すかす、余りにも非合理が過ぎると、ストーリーを楽しめません。その辺のバランスがむずかすいんすね。

 ですから宗教も、物理世界では在り得ないような想定でも信じてしまいます。処女懐胎とか死後に生きかえるとか障害が直るとか。人間はストーリーにて生きるものですから、仮想の話しを実在のように感じてしまうんす♪全ての宗教には必ず介在者がおります。神の啓示を受けたとして、その教えを広める預言者(神の言を預かる者)ですね。全知全能、万能の神ならそんな仲介者を介さずとも直接人々(神の子?)の心に啓示を与えれる筈なんすが?

 ですから神のストーリーは人間の頭の中で作られたと推定せざるを得ません。宗教とは人間が如何に壮大なストーリーを作れるかに掛かっているんすね。フィクションではあるが人々を納得させうる壮大なストーリーそれが聖書やコーランなんす。カルトやセクトのちょろいストーリーでも人々は進んで信じちゃいますから、歴史を経た宗教は人間世界を動かしてきた心理的実在であると言えるでしょう。

 我々は感覚・知覚を介して本当の世界(物自体?)に肉薄しえないという見地からは、人間が認識する全ての現実は幻想であるとも言えますから、フィクションを嘘として軽んじる態度は自己否定となるでしょう。かな?ジャンジャン