1月18日(木)歯医者の待合室での感慨とは。

 薄い雲の多い白っぽい晴れ、夕方雲出る。3℃〜14℃、65%。なんつうか、昼間は暖か♪スーパー銭湯だん。ほかほか♪





 無神論者的悲哀とは:人間に帰する。

 世の中に神も仏も無いものか?なんてのが沁みついてるのが、徒に科学信仰をしている愚か者でごんす。いや、心理的には信じた方が有利だと、判っちゃいるけどやめられない。時おり自己欺瞞して、神社などで2拝2拍手1拝して感謝すると、清々しい気持ちになることはなるんす。でも奇蹟とかご利益とかは信じれないから、自己犠牲する気もないと。

 昔の聖人・聖者を人間として崇める気持ちはあります。でも、それは奇蹟を起こした神や仏だからではなく、無私のココロとか、心からの人類愛とかによって人間として尊敬するからですぅ。それらの行いは、神ならぬ人間として、極めて困難なことだと自戒するからです。そういう人間が、時折りこの世界に出現するということは、人類の救いです。

 でも、本当のところは、人には良いところもあるし良くないところもあります。聖人をただ崇め奉るだけではなくして、人間としてとらまえる視点が大切だと考える次第です。つう意味では、空海さんやシッダルタ、はたまたジーザスくんなどの人間として有りのままの姿が知りたいなぁ、と予てから思うておったところ、今日、偶々歯医者さんの待合室で出あった「NATIONAL GEOGRAPHIC」にて”考古学で探る本当のイエス・キリスト”なる記事をハケーン!!!単なる大工の青年が、如何にして神の子になったのか!興味がわきますねィ♪流し読みしたところ、ギリシャ・ローマ文明とシリア・ヘブライとの出会いや、ナザレの土地の文化・宗教の状況などが複雑に絡み合ってキリスト教が生じたんだと。途中でセンセに呼ばれたんで、以下省略す。

 ネットで検索すれば、少しは出てくるかも?シッダルタや空海ムハンマドの人間としての事績が出てくるのかなぁ?・・・つうことで、ぼくが興味があるのは宗教ではなくして、人間としての人物存在でしたあああ。どもども。