3月28日(月)善悪のカオスたる巷とは。

 薄曇りのち本格的曇り。10.7℃~19.0℃、27%。5800歩。花曇り。

 今日のKOVID状況:都の新規感染者数は4544人で前週より18%増加、重症者は37人、死亡0人でした。反転は確からすいどっと。ゾワゾワ

 

 精神と身体:結局頭で考えていても解は無いと。

 精神と身体の二元論を採ったのはデカルトだったと思ふ。精神を身体から独立させてそれだけで成り立つものとした。すなわち「コギト エルゴ スム(我思ふ故に我あり)」ですね。

 古代中国の思想家は人間の本性は善か悪かを議論した。溺れそうな幼児を助けたりするから善のように見えるし、人を妬んで陥れたりするから悪のようにも見える。単独の生き物としては自己保存の本能で適者生存的に振る舞うし、社会性のあるコロニー型生物としては助け合わないと群れとして生きていけない。

 すなわち元々二面性を持っているんですね。善悪という概念も社会性から出てきたとも言えます。肉食たる孤独の狩人ライオンなどは老いたり子供だったりする弱い個体を狙います。そこに善悪は有りません。社会性を帯びて初めて、弱いものをかばうと言う倫理観が出てきます。

 しかしその善悪は精神的なものではなくして、身体から発するのは明らかです。いわゆるドーパミン系の強化学習で、弱いものを助けたりすると仲間の称賛を浴び、それがドーパミンを発出させてその行動を強化するわけです。だから悪い敵は殺せと刷り込まれると躊躇なく人を殺せるのです。英雄として勲章が貰えるからですね。

 善悪はアプリオリ(生得的?)に決まっているのではなく、社会の中で教育や経験により培われるのです。それが人間の危険なところでもあり、また可能性であります。ですから愛は必ずしも良い面だけではないのです。愛が反転すると憎しみに化学変化しますから、愛国心にもリスクがあります。人を愛して受け入れられないと憎に変わってストーカーになったりします。

 この世のことは全て両面性があるということは、心にしっかりと刻んだ方がいいでしょう。そうすれば狂信的に愛したり憎んだりすることから少しは自由になるでしょう。

 でもあんましメタから眺めていると、現実感が薄れて生きているか死んでいるか分からなくなるから、時には我を忘れて愛憎の巷に身を置くのもいいでしょう。あれ?結局どないせえっちゅうんじゃあああ!ドッボーン!