3月24日(木)彼岸明け。死生観とは。

 真っ青な快晴♪2.4℃~14.3℃、46%。5200歩。桜の満開は遅れそう?

 今日のKOVID状況:都の新規感染者数は8875人で前週より5%の増加、重症者は41人、死亡16人となります。やはり日ごとのバラツキが大きいですね。7日間移動平均の方がいいのかな?

 

 日常とは:

 普段の生活のことです。ま、ありていに言えば平年の生活ってことかな?現在世界人口は80億人に近づいていますが、そのうちサチって減少に転じるでしょう。日本などはその先駆けです。イロエロな予測がありますがあと40年~50年で100億人に近づいてピークアウトすると。

 災害や戦争などで何万人も死にますが、毎年6000万人~7000万人くらいが自然に亡くなってるんすね。災害や戦争よりも3桁くらい多いんです。つまりメタに眺めれば時は最大の虐殺者だと言うことになります。ま、それ以上に生まれているから人口が増えるんですが。

 と、統計的に眺めると無機質な感慨しか湧きませんが、家族や友人、知人の死はけっこう堪えます。これを二人称の死と申します。統計的な死は三人称の死ですね。一人称つまり自分の死が一番こたえそーですが、これは想像で先取りするからで、実際に死ねば何にも分かりませんから全く堪えません。つまり実際にしむ直前が嫌なんでしょうね。イマジネーションは自由だから、神の国に行くとか天国に行くとか、亡くなった親しい人に逢えるとか、いい想像をすればこの期間は乗り越えられそーです。

 でもチンケな物理主義者はこのイマジネーションの壁を超えれないから、可哀想な人なんです。でも、産まれる前を覚えていないよーに、死んだ後も覚えていないだろーから、その点ではバランスが取れてます。つまり世界や意味や喜怒哀楽は生きてる限りのことにて、その点は自由を感じますね。一番いいイメージは自我が融けて流れてのーへ、世界と一体化して融合すると。こりは臨死体験した脳科学者が言ってたことでした。ありっ?日常から明後日の方向に話が飛んでしまいましたね。てへへへ♪