3月20日(日)春分イブに桜開花。絶対とは相対ではないことです。

 白い雲ぷかぷかの晴れのち曇り。4.1℃~15.5℃、33%。8200歩。

 関東の他県に先駆けて今日東京で桜が開花しました。平年より4日早いとか。やはし都市化が温暖化を加速してヒートアイランド化しているのかな?満開は週末26日になりそーです♪

 今日のコヴィッド状況:都の新規感染者数は6502人と前週に比べて20%の減少、重症者46人、死亡8人でした。第6波は1か月で立ち上がり4か月くらいで減衰していくのかな?それとも減衰途中でまた跳ね上がるのか?

 

 絶対とは:

 相対化しないことですね。移ろいやすい現実から目を離し、なんでも絶対化すれば生きやすいと言えるでしょう。例えば、絶対神に帰依すれば心穏やかに過ごせます。自分は絶対にミスしないと思えばドクターXにもなれます。自分の考えは絶対に正しいと頑思えば行動は揺らぎません。他人はともあれ絶対に依存すれば自分は生きやすくなるのは確かです。

 例えば真善美でも絶対と相対の相克はあります。真は論理的に正しいこと、善は倫理的に良いこと、美は価値観念や価値認識の基準であり感性的に把握される。それぞれ論理学、倫理学、美学と対応付けられる。美は主観的であり身体性を持つが真はより普遍的、観念的であり、善はその中間と言えるでしょう。

 ゆえに絶対的な美は有りえないが絶対的な真はありそーですね。善は当然相対的になります。でもこの世界を究極的に突き詰めれば、絶対ということは絶対にありえません。絶対は思い込みの世界にしかその居場所はないのです。

 でも自由意志のようにあると思えば生きやすいし、ないと思えば生きにくいという実際的な側面は確かにあります。自由意志が無いと思えば自律的な倫理観は崩れます。何をやっても同じなのですから。絶対もそれに似ています。絶対を無くしてこの世界は全て相対的なものだと観ずれば、芯を無くしたクラゲのように相対化の地獄にハマって、確とした信念を持てません。

 そもそも精神そのものが絶対性を求めているので、例えば無神論者は生きにくいのです。この辺が信仰と哲学の相克といえるでしょう。信じるものは救われる、信じるものは巣食われる。さてどちらでしょうかっ?ではでは。