6月27日(土)大河端散歩。多様性の相克とは。

 概ねもや曇りときどきもや晴れ。22℃~29℃、70%。8200歩。

 今日は大川方面の散歩ですぅ。石川島のパリ広場あたりは引き潮で家族が大勢カニ採りをしてました。シラサギが6羽かたまって水辺のエサ取りしてます。リージャンで昼食をとって住吉神社に参拝する。疫病退散の茅の輪くぐりをやりました。佃掘りではハゼ釣りの老人たち。まだ小さいですがたくさん釣ってました。先頃迄空堀にして工事中だったですが、魚というのはすぐに湧いてくるもんですね。公園はもう既に遊具解禁で家族が密でしたあああ!

 

 善悪と多様性:

 生物界において善悪は相対的なものであることは良く知られております。天敵に捕食されるものは弱いもの傷ついているものからと相場は決まっております。すなわち幼獣や老獣から食べられるのです。これは彼らの倫理(もしあるとすれば)に適った行動なのです。人間界は集団で上手く暮らすための倫理があって、これを獣の世界に当てはめることはできません。

 一口に人間界といってもその中身は多様で、倫理もその都度違ってきます。すなわち究極の善悪というものはないのです。ある時代、ある地域、ある文化の中においての善悪に過ぎません。だから自分たちの善悪を押し付けるのは、多様性の原理に反するものとなるでしょう。それは自分たちのクラスター内だけに留めておかないと、徒に紛争を起こす種になりかねません。そう自由、人権、民主主義といった普遍的に見える価値観でさえ、実は絶対ではないのです。

 その辺をどれくらい許容できるかが、多様性の範疇を決定するといってもいいでしょう。全体主義は嫌だけどシンガポールくらいは許容できる、から中国、北朝鮮ソ連ナチスまでイロエロあるけど、さてどこまで広げれるでしょうかっ?差別だって無知から偏見、、、確固とした信条まで色んな差別があります。ぜーんぶ相対化しちゃうと多様性は拡がるが、世界はめちゃくちゃ?いやいや、それが多様性ってもんぢゃないんかなぁ?ザンネン