12月28日(火)納めの不動。御用納め。解釈とオナモミは何処にでも張り付くとは。

 少し白っぽい快晴!-1.6℃~9.5℃、26%。6900歩。大空を行き交う旅客機が視界に3機、まるで手に取るように分かります。金属が空中に浮かんでいることの不思議さよ?今日も乾燥注意報。

 

 おごれる人も久しからず:解釈問題。

 普通に現代風解釈だと、「いつも見え張って人におごっている人は、財布が軽くなって長くは続かない」と解釈できる。翻って千年ほど遡れば、「おごり高ぶって傲慢になると、すぐに没落しちゃうですよっ」と解釈されます。このばやい「ただ春の夜の夢の如し」と、そのはかなさが形容されまふ。

 すかす春の夜の眠りに詳しい人から、ここでいちゃもんが付くかも? だいたいですねぇ、「春眠暁を覚えず」という諺があるくらいに、春は眠たくて眠たくて朝が来てもなかなか起きれないんすね。だから夢からもなかなか覚めないんすよ。むしろ短いと言う例えなら、暑くて寝苦しい「夏の夜の夢」なら、比較的短時間で覚めるから合ってます。故におごれる人の久しく続かない夢を形容するのなら、「ただ夏の夜の夢の如し」とするのが正しい。

 形容問題はさておいて、驕れる人はホントに久しくその地位に留まれないのか?これには例外がいくつか散見されます。例えばアベ政権は権力を私的に振り回して、モリカケサクラなどでおごり高ぶってましたが、その在位は歴代最長とけっこう久しかったですよ。逆にあんまし驕らなかったハトぽさんはまさに久しからずの例え通りですただ。

 とは言え、もそっと中期的に眺めて歴史に残るか否かの判定は未だ確定せず。歴史上の事例を見るに、驕ったら情勢が読めなくなりホロン部事例が洋の東西を問わずあるし、驕った王朝でも比較的長く続くこともあると。すなわち諺や古典に書いてあったからと言ってそれが教訓になるとは、限らないんですぅ。まさにはっきり申し上げて、当たるも八卦当たらぬも八卦のご都合主義なんすね。そこんとこよろぴこ。

 

追記:そもそも生物は必ずしむんだし、この世のことは塞翁が馬で禍福はあざなえる縄のように交互に現れるのですから、驕っても驕らなくても世の実相自体が絶えず変転極まりないんすね。その変転自体を実は進化(evolution・・・中立的に訳せば単なる展開です)と言うんだすぅ。どもども。