9月17日(金)玄鳥去(ツバメ南に去る)。言葉と現実の乖離が荒れた社会を生むのん?

 終日曇り。17.6℃~25.2℃、68%。ようやっと夏日。遠く西国から台風の足音。

 

 多様性と包摂:

 最近の抽象的な流行り言葉として「多様性と包摂」が喧伝されています。が、抽象の抽象たるゆえんで、現実から乖離していること夥しいです。

 現実には区分けの付いたベンチや排除アートで家の無い人々を追い出したり、住む場所を奪ったりしています。包摂というよりか排除へ、多様性というよりか画一性へ進みつつ、口先では多様性とか言ってます。言ってる自分でもその欺瞞性は分かってるんでしょうね。新自由主義者にこの傾向は著しいと思います。自己責任と効率が合言葉。公助や共助より自助。トッポジージョですべてを放置。コロナ患者もホームレスもすべて放置の成金さまは、恬として恥じない我儘ぶり。

 外国で流行りの新自由主義を真似したまではいいですが、その裏側まではご存じなし。彼らは宗教的な要請で、ちゃんとセーフティネットを持ってます。真似した日本の浅はかさ、運悪くして困った人々をさもしい人とさげすんで、なんら支援をいたしません。それで日本は困っている人を世界一助けない荒んだ国になりまひた。生ポを使うのは、厄介者の穀潰しとさげすんで、世界一適用率の低い国になりました。

 お江戸の貧乏人は長屋の助け合いでも生きていけましたが、現代の大東京の片隅で、ひっそりと飢え死にする人も絶えません。コロナ禍でも自宅放置での孤独死が増えてます。やはし何といっても、迷惑かけず掛けられずの孤立主義よりか、迷惑かけて掛けられて一緒に暮らそうってのが一番の包摂なんではアルマイト

 最近気持ち悪いのは、敬語ばっかしの慇懃無礼。もう気取った敬語三昧はスルーして、ホンネの話をしようじゃないか。てやんでえ、矢でも鉄砲でも持ってきやがれ、べらぼーめィ。