8月10日(火)心は理性と感情のミックスだす。

 猛暑晴れ、夕方少し雲出る。27.2℃~36.8℃、42%。気温が体温を超えました。熱中症注意報!八王子では39℃も。これじゃエアコンのない自宅隔離者は極めて厳しい環境ですね。ヘロヘロ~

 

 理屈は何にでも張り付くとは:

 感情で潜在的な結論はだいたい決まっていて、理性が後付けでそれを正当化していると言ふ。後付けについては、こんな実験あり。何枚かの写真から好みの人を選んでもらい、その理由を聞く実験があります。被験者が選んだ写真を手品で別のものに入れ替えても、被験者はその写真が気に入った理由をとうとうと述べると言ふ。なんか理性の限界を感じてしまいますね。タハッ

 だからバカの壁とか論破とか臍で湯を沸かすような、ちゃんちゃらおかしい事態も発生します。人付き合いは知に働くよりも、情を慰撫する方が良いと言われるゆえんですぅ。

 数学的帰納法というのがあって、これはある命題が1で成り立つ、そしてnで成り立つときにはn+1でも成り立つと証明すると、あとはどんな自然数でも成り立つんだという証明手段です。1からどんどん数字を+1づつ進めていくと、可能無限に到達すると。

 これの逆に砂山のパラドックスというのがあって、「砂山から砂を1粒取っても残りは砂山である。これを次々に進めて行けば、最後の1粒になってもそれは砂山である」つうようなもんです。まるで磯野浪平さんは禿でないというような結論ですね。

 手順は正しいが、定義がはっきりしていないと結論がトンデモになるという例はたくさんあります。このばやい砂山とか禿はどれくらいからそーなるのか?という定義が曖昧です。

 オリンピックとコロナ感染は関係ないと議論もあります。選手村で大した感染が無かったから、日本国中に影響するわけはないだろうという理路かな?でも人の接触機会が増せば感染は広がるという疫学的な経験則はあります。それを人の流れといふ。国際的なイベントが人流を増やしているのは明らかです。ビーテレを通していても感動が人々に伝わり、それがモビリティを増加させます。それは街角人流サンプリングでも明らかです。つうような理路も、最初の理路も並列しますから、あとはすべて願望や感情の問題に帰するわけです。

 ここに人々の感情的な分断が始まります。さて、政治がこれをどー鎮めるのか?国民感情というのはかくも難しいものなんですぅ。ま、ワクチンが効いてコロナが収まれば、自然と波立った感情も鎮まるかもしれんですねぇ。いたずらに論争しても、これは決して解決しません。かな?