7月3日(火)わかちゃいるけど、やめられない♪

 今日も快晴!26℃〜33℃、55%。南風やや強し。




 本能は論理より強し:スポーツの熱狂を見て、感じたことなど。

 俄かサッカーファンの興奮も過ぎ去ってみれば夢の如し。一時は決勝T第1戦突破が現実となるかと、ドキがムネムネしましたが、あっという間に逆転されて、もとの木阿弥。ああ無情!とは言え、根がにわかファンなものですから、熱から覚めるのも極めて早い。

 すかす、世界各地での熱狂ぶりを見るにつけ、集団的興奮つうのは人類共通の本質のような気がします。一人だと極めて冷静かつ論理的な人間も、いったん集団的熱情に犯されると、狂ったように騒ぎまくると。いや正に疾風怒涛(シュトゥルム・ウント・ドラング)ですねぇ。2年後のオリンピックでの狂騒が、容易に想像でけまふ。ナチスがこれで国民を無謀な戦争に導いた先例あり!

 ま、この性向は人類が狩猟漁労で暮らしていた先史時代に遡るでしょう。集団で狩りをするときは、全員が気持ちを揃えて勇敢に振る舞わねば、成果は見込めない。成果が無ければ、飢えてしむと。言うような理路で、生き残った集団には集団的興奮の癖が染みついたのであろう。

 であるからして、頭で論理的に考えたら無謀なことでも、一旦集団的感情が爆発すると、それが収まるまでは理性が押し殺されてしまうんや。世の戦争の切っ掛けは、如何に些細なことでも、感情にさえ訴えれば、幾らでも作れるんですぅ。ここで我々は再びナチスゲーリングの言葉を思い起こさねばならない。・・・「われわれは攻撃されかかっているのだと煽れば、国民はついて来るのだ。」と。近隣に敵を作って国内を固めるのは、好戦的な国の常套手段です。一旦、反日、反中、反韓、反北が立ち上がれば、もう理性の出番はなくなります。Jアラートやミサイル訓練を提案した者たちは、現代日本ゲーリングもどきに他ならず。ども。