7月11日(日)どこでもいいから原点さえ見つかれば、その後の発展性はあり?

 薄曇りのち白っぽい晴れ、夕方雷雨・豪雨。21.6℃~31.8℃、68%。

 バッシーン!ズッシーン!ゴロゴロゴロ!と雷が落ちたから肝をつぶしましただ。

 

 原点に還れとは:

 何事も慣れてくると初心が忘れ去られて、慢心してくるものです。するとそこで進歩が止まり、場合によっては退歩したりします。時々原点を思い起こすのはいいことだすぅ。

 「我に原点を与えよ。さすれば図形も式で表せる」として座標系を導入したのがデカルトです。これが幾何学代数学が結びついた最初です。全ては原点を導入したことによります。ま、ゼロの導入も代数における原点のようなものかな?空とか無の思想から出てきたものと思われます。何もないところ(無、ゼロ)が世界の中心になれるんすね。

 物理でもすべての力を統一しようとの、「大統一理論」が模索されてますが、数学でも色々な分野間を結合して統一しようとの動きがありました。デカルトが最初でしたが、幾何を統一するエルランゲン・プログラムとか楕円関数とモヂュラー形式を統一するラングランズ・プログラムなんてのもあります。ポアンカレー予想を証明したペレルマントポロジーの問題を物理で解いたとかゆわれました。

 世界の構造はその奥底では同じで、だたその表現形式が違うだけだっちゅう予想を窺わせますが、その実体は未だに五里霧中。すかす、この世界が簡単な理論で統一できるほど、単純なわけがない!という直観もこれありて、単純と複雑の糾える縄目の解き口も未だに五里霧中。

 そもそもこの世界がそんなに早く分かってしもては、底が浅すぎるっちゅう見解にも少なからぬ説得力はありますから、無知の知という神言の本質を噛み締めながら、目先のことに集中するしかなかんべぇ。

 で、そもそもの原点ちゅうのが、「我々は如何に物を知らないのかを知る」ことにあるのですから、今日はこの辺で。さいなら、さいなら、さいなら♪