9月4日(日)知性とは何か?

 朝のうち雨残るも、後晴れ間。24℃〜30℃、80%。青山方面に進出す。人間(じんかん)至るところ青山あり!




 論理と身体:

 論理的思考とは、ある基本的な前提から、規則を積み上げて考えることなんす。すかす、その前提もかなーり抽象化して現実から乖離した人工的なものになり、規則(アルゴリズム?)も普遍では無いですから、論理でカバーできる世界はかなーり小さいと言えるです。現代の科学万能、コンピューター・ゴッドの世界は一種のまやかしかもしれんですねぇ。日常の生活感覚とか身体性つうのが大切になる所以ですぅ。

 抽象世界で生きている知識人のほうが洗脳されやすい、ちゅうのはオウム事件で明らかでしょう。反知性主義の復活というのも多少危険な予感がしますが、バランス感覚が大切でしょうね。最近、細菌の話しとか腸と脳の話しとかしてたら、知性と言うのは必ずしも身体から遊離したイデア的なものではなくして、むしろ身体的な条件で知性というものはかなり制約されているんではないか?と思うようになりまひた。
そして人間の身体が細菌によって支えられているんなら、その知性とゆうのは個人からはみ出して環境と融合してるんでわ?とか。

 現代の論理的思考は、遠く古代ギリシャで発生したと言う。しかしその大本はアレキサンドリアであったと。文化の中心では伝統や権威がものをゆうから新しい発想・イノヴェーションが起りにくいと。辺境はその点従来の発想にとらわれない新しい概念を発起でけるんだすぅ。ギリシャ幾何学はその後ローマに渡り、イタリアのルネサンスで復活しました。しかしこの時アラビアで発達していた計算法(代数学)が融合し、これが当時の辺境フランスでデカルト代数幾何として結実し、更に辺境の英独で微積分学になったんですぅ。辺境畏るべし!文化の中心は次々に移動し、しかもそのフロントは常に辺境が担うと言うのは普遍性があります。