3月4日(木)まだまだ、先は長いぞかっふんの季節。

 晴れ、夕方雲出る。2.3℃~15.0℃、44%。かっふん多し。もう既にかっふん疲れしちゃったですよ。ハックショーン

 コロナ新規感染者数が下げ止まっているようです。東京も日本も世界も。オリンピックの護送船団方式ってどーやるんだろ?選手、役員ばかしでなく記者もいるしね。通訳ボランティアさんも出所がナインぢゃね?

・かっふんに 足を取られて 運動不足

・かふん かふん やよいの空は 見わたす限り かふんか雲か 光環ぞ出ずる いざや いざや見にゆかん♪

 

 感情を耕すとは:

 カズオ・イシグロの「感情優先社会の危うさ」というインタビー記事があった。事実の理性的判別よりも感情に突き動かされるポスト・トゥルース社会を危惧している。これはポピュリズム政治と相まって、広く世界に拡散した現象です。愛国とか嫌○○とかの感情的な扇動が、次々に事実を捻じ曲げて行きます。

 トランプ政治やブレグジット、安倍政治のあんな人たち発言で、人間同士がどんどん分断されていくのは、感情過多が原因ではないのんか?一端感情的にのめり込むと、例え事実が提示されても、それをフェイクだ陰謀だとして、返って自分の感情が強化されてしまう現象が方々で発生しております。

 そしてこれは長年感情に関する仕事をしてきた小説家、芸術家にも責任の一端があつのではないか?という疑問を開陳する。実証やエビデンスではなく、「考えるな感じろ!」と言う危うさ。屁理屈の応酬ではなく、感情を込めたコミュニケーションや気持ちを伝え合うことが重要で、そのために小説や映画、音楽を作ってきたと振り返る。

 感情のみが重視されると、「選挙が盗まれたから暴動を起こしてもいい」と信じる人々が出てきてしまいます。でわ、どーしたらええのんか?こりはむずかすい、極めてむずかすい。敢えて言えば、嫌な奴らとも対話を重ねるしかない!ということです。嫌な人たちがどんなことに関心を持ち、どんな世界観をもっているのかを、馬鹿にしないで真摯に対話するしかねーと云ふ。

 例えばですね、世界中を走り回って知識人たちとだけ付き合っていても、分断は治まらない。近隣住民のおっさんやおばさんたちと腹を割って話し込むしか手はねーんです。あんな人たちも、こんな人たちも同じ人間なんすから、偉ぶって責めているだけでは始まりません。そして最後は自由や民主主義も見事に相対化してしまいました。

 ま、一端すべての価値観をカッコにいれて、再検討する必要を感じた次第です。良いにせよ悪いにせよ、凝り固まったら先はあーりまへん。かな?

 

 追記:これからの世界はマネー・ドリブンではなくデータ・ドリブンだっちゅうところは同じ意見だったですぅ。ラージデータを握った者が世界を制すると。そしてこれらはGAFA(米国)やBATH(中国)に集積されつつありまふ。科学技術の世界でもそーかもしれませんねぇ。マッシブ・データの流れとか。ゾワゾワ