2月3日(月)節分なり♪イワシの頭を齧りつつ当たり目を想ほゆ。

 晴れときどき曇り、いや曇りときどき晴れかな。5℃~15℃、42%。

 福は内、福は内、福は内、福は~内♪の豆まきをした後、西南西に向かって恵方巻を食す。美味し。こういう迷信は信じていなくても無病息災を齎してくれるものだらうか?少なくとも海鮮恵方巻には栄養はありそーだす。信じる者は巣食われる。信じなくても行動すれば掬われる。かな?人は論理のみにて生くる者には非ずと。アハハ

 

 当たり前とは:

 当たり前なら外れは後ろ、とか当たり前田のクラッカーとか、「当たり前」は当たり前によく使われる表現ですぅ。言い方を変えれば、こりは「常識」ということでしょうか?

 常識を疑わずに生きてるってことは、極めて安泰でやんすよ。自明性の中でまどろむ心地よさ♪人生の大半はそのような自動人形として生きてます。その方が効率的だし、ストレスも少ないですから。でもね、心地よさの反面で、そりは思考停止の状態なんす!

 自明性の帳の中に安住するのか?はたまた猜疑の地獄で呻吟するかっ!でも、真摯に生きたいのなら時には常識の殻を破った方がいいかもね。お勧めすることではごじゃりまへんが。ゲシュタルト崩壊的な不思議感覚をもたらしマスカラ。ども。

 一端常識を疑うと、あとはもうぜ~んぶ自分で考えなけりゃならないから、とても疲れるんですぅ。でも、物事の本質的なところには迫れるんすね。生涯一か所の文化習俗ではなくして、海外のイロエロな国々を遍歴した者なら、これを肌で感じれまふ。常識、当たり前、自明性(トリビアル)なんてのは一時の幻想であると。

 つうことで、常識をいったんカッコ()に入れて新しい世界を見てみようよ♪つうのが現象学の事始めなんすが、こりが極めてむずかすいのは既に自明のこと!なぜなら言葉(概念?)そのものが既に同一性の枠組みなんすから。ジャン・・・この項続くかも???