2月11日(木)建国記念の日(旧紀元節)。旧大祓。時空とは。

 今日も白っぽい快晴!3.3℃~14.1℃、29%。6500歩。北寄りの風やや強し。

 今日は日本の建国記念日ですが、これは神話起源です。でも西暦だってジーザス・クライストの生誕年がずれてるんだから、どっちもどっちです。使われたらそれが正しいと云ふデファクトスタンダードですね。明日は中国のお正月@春節ですが、民族大移動の自粛はどーなってんでしょうかっ?移動はパンデミックの大本なんすが、台湾みたいにホントに根絶してるんなら、別に移動制限しなくてもイイのにね。なんか妖しいいや怪しい?

 

 時空の狭間にて:実感なきことを無駄に思考するとは。

 時間空間は実在するのか、はたまたカントの言うように認識形式に過ぎないのか?脳がやられると時間も空間も溶けて流れてのーへ、というからカントの言い分にも一理あり。でもその認識の中に組み込まれている我々には、時空ってのがホントに在るように見えるんであーる。だって世界には広がりも奥行きもあるし、タイム&タイドは人を待ってくれないしね。

 時空は認識形式だからときに人は物事を空間的に考えたり、時間的に考えたりできるんですね。そもそも時間自体を空間的に捉まえるのが時計と言うもんです。日時計とかゼンマイ時計は時間を空間的な変化に換算します。飛んでいる矢は止まっているというゼノンのパラドックスは、時間を空間的に捉えることから生じた矛盾だと言えるでしょう。

 前に量子コンピュータについて聞きに行ったときに、そこにいた海外からの研究員は、「量子コンピュータにおいてはプログラミングは音楽のように時間的にコーディングするんですぅ。」とかゆってたぞっと。不思議なことをゆーもんだと思たですが、今では少し分かるような気がします。

 時間も空間も重力により伸び縮みするという相対性理論も、時空を実体ではなくして認識形式だとすれば、受け入れやすいのかな?でも4次元時空の世界線なんてのは完全に時間を空間化してますよね?時には時間を空間化して横から見るより、縦から見た実感として把握することも必要でしょう。

 不思議なのは時間を空間化して理解するってのはあるけど、空間を時間化して理解するってのはないような気がします。ここに時間と空間の根本的な差異があるようにも思えますね?ダハハ