1月19日(火)蓼食う虫は好き好き。

 北の風やや強く快晴!1.2℃~9.5℃、26%。またまた空気が乾いてきますたよっと。

 

 日落ちて未だ残照あり:

 この季節の森や林を歩くと何となく物悲しい気分に襲われます。枯れ葉や枯れ枝を踏み敷いて歩くと、葉をすべて落とした樹木の枝が、真っ青な空に伸ばした根っこみたいです。でもよく見ると、枝先に小さなつぼみが付いていたりします。日溜まりでは老夫婦がベンチに腰掛けて肩を寄せ合ってます。更に目をこらすと白梅が2~3輪、小さな花を付けてます。春遠からじ。コロナいつ止むか。

 

 好きずきとは:

 これはもう個人史ですから変えるのはかなーり難しいでしょう。花が大好きだというのは結構普遍性がありますが、中にはミミズが好きで好きでたまらないという方もいるかもしれません。要するに「好き」ってことに理由はないんですね。

 人が人を好きになるというのも理不尽なもので、雷に打たれたとか形容することもあります。単純に計算しても相思相愛というのは25%くらいで、実際はもっと小さな確率でしょうね。俺はこんなに一生懸命なのに!とか、こんなに大好きなのに!とか言っても始まらない相手の気持ちとは。未練は残るがそんなもんだと諦めるしかナインですぅ。ほんとに好きならシラノ・ド・ベルジュラックみたいに陰で支えるしかないでしょう。

 国や国民に対しても好き嫌いというのは確かにあります。これは感情ですから是非に及ばず。でも、それを差別に結びつけたりしてはいけません。嫌いだけれど共存しなければならないのが人間社会であり、国際関係なんすからね。「なんでおまえはトランプが好きなんだあ!」とか、「なんであなたはハトポが大好きなの?」とか言っても始まりません。好きなものは好きなんだから。嫌いなものの方がもっとバラエティがあって、いちいち咎めていたら、社会は成り立ちません。

 いいことやろうとしても、「アフリカの難民援助する前に、日本のホームレスがいるだろ!」とかいう公平教信者も散見されます。でもそれはたまたまアフリカの難民に心を動かされただけであって、世の中のすべての不幸に目を向けてからでないと、動き出せないとしたら、行動はフリーズされてしまいます。

 世のことにすべて合理的な理由を求めたら、それこそ恋愛なんてなくなっちまうでしょう。つうことは人類は存続できないと。生物界は常に理不尽で動かされているんだあああ!(玉虫の盲目的な意思論より)