10月30日(金)のんびりした逝きし世の面影。

 曇りときどき晴れ間。14℃~19℃、45%。北風が少しちべたい。豊洲市場江戸前場下町でマグロの削を購入す。今日は鉄火丼にしよう♪残ったのは明日漬け丼にしよう♪

 

 湾岸の今昔:

 東京湾の最深部の更にへこんだところを江戸湾と言った。今はもうすっかり埋め立てられてますが。江戸川と多摩川を両端に、その内側には中川、大川(隅田川)、目黒川などが注ぎ込み、土砂を堆積させてたくさんの干潟(洲)を形成しておりました。その洲の間は澪(みお)という干潮でも水の流路になっているところです。

 たくさんあったので八重洲とかゆわれましたが、鉄砲洲、天王洲、初洲、黒鯛洲、間ノ洲、出洲、中ノ洲、三枚洲、などが連なりその間をそれぞれ名前が付けられた澪が流れておりました。

 木場の辺りに洲崎神社があって、そこは潮干狩りの名所でした。すぐ近くでアサリやハマグリ、ヒラメやエビなどが穫れましたが、中には船で何里も沖に出て干潮になったら干潟で潮干狩りをして、また潮が満ちたら船で帰って来るような遊びも流行っていたとか。

 その洲が今ではみんな埋め立て地になっているんですね。鉄砲洲から月島、晴海、豊洲からお台場、若洲まで、みんな干潟が埋め立てられたんす。そしてその間の澪が運河になってます。何しろ江戸初期の頃は日比谷辺りまでが海だったんすから。

 そういうかっての行楽のスポットが、今ではタワマンが林立し、TV局が出来、商業施設やオフィスが入っている都会のウォーターフロントに大変身してしまいました。東京オリンピックの施設も、実は江戸時代は海の中の洲だったんですね。時は移り、人も変わり、時代も変わり、風景もガラリと変わる東京湾岸の物語でした。