2月8日(土)歩きながら考えるとは。

 快晴、夕方少し雲出る。1℃~13℃、32%。公園の白梅がほころびかけている。つうことは花粉の季節近し、ってことかな?ズッシーン

 

 街角さむぽ:

 昼間は少し穏やかだったので、ぶらぶらしてきた。やはし湾岸は鳥影が濃いですねぇ♪スズガモの群れやユリカモメの群れが方々で見られます。時折シラサギやアオサギも見受けられますが、なんといってもこのところ急激に増えてきたのはカワウの大群ですぅ。つうことは魚も増えているのかな?生態系はこのようにして、見えざる神の力でバランスを取りまふ。(最近、経済の方では見えざる神の手(自由市場)があんまし効力を発揮していないので、神は死んだという人も多くなりましたが。)

 街の姿は客観的に1つだっ!と思てる人は多いです。でもホントは百人いれば百の姿があるんだすぅ。例えば僕みたいに自然に興味がある人は、鳥とか虫とか花とかにすぐ目が行きます。そのかわり人々の服装とか、車の種類とか、には気が付きません。生まれ育った環境や経験、学習によって志向性の枠組みが個々人により異なるからです。蝶々の種類や飛び方まで細かく分別でける人、服飾のブランドや流行に詳しい人、車のブランドや年式にはえらく詳しい人、・・・などなど世界の認識の濃淡は個別的なのですね。だからぼくが見ている世界と、他の人が見ている世界はぜーんぶ異なるのです。

 この無意識の枠組みで見えてくる(現れてくる)世界が異なることを志向性といひまふ。そして世界の分節の細かさを含めた網の目状の構造を志向性のネットワークと申します。志向性(Intentionalität)と言ふと意図的(intentional)なものと考えがちですが、前述のように無意識下に現れてくるもんなんだすぅ。つまり、この世界のあらわれかたの濃淡は人に依存して千差万別つうことでやんすよ。

 つうことでわだすの街角さむぽでは、ファッションとかグルメとかはあんまし出てきません。都会の中の自然の変化には案外敏感なんですが。どもども。

 

 人が街角について何かを書いているときに、その人の志向性が自ずとあらわれているのも、極めて素敵におもすろいもんだすぅ。それでね、この志向性つうのが現象学的理解の鍵になるんすねィ、実際のところ。この辺が分からないとエポケーとか言っても、なーんも分かりまへん。ザンネン