12月25日(水)大潮、クリスマス、終い天神。考えるな、感じろ!

 曇り夕方から晴れ間。5℃~9℃、44%。ずてぃんしゃに乗っていると、ようやく耳や手が悴む季節を感じる。

 

 人生は徒労か:

 シシュフォスは神の怒りにふれ、岩を山頂まで押し上げるという永遠の苦行を課せられた。頂上の直前で岩は転げ落ちてしまうのである。この世の不条理と意味のなさをシシュフォスを通して描き出したのは神いやカミュである。

 どんな人間の行動も最終的には無意味に帰する。個人的には死が待っているし、人類絶滅は必然だし、地球自体もついには滅びてしまう。登山家だって苦労して山に登っても、ほんとは山がそこにあるからで、頂上に達しても意味はない。しかしその過程での苦労や充実、登頂の達成感は確かにそこに在った。人生はシシュフォスと同じである。ニーチェはこれを運命愛といい、舞踏の精神といった。すべてをあるがままに受け入れ、身体性を持って「今ここ」を懸命に生きる。今が永遠であり、永遠が今なのだ。そこに全き自由が顕現する。

 

備忘:感覚は個別具体であって違いを強調する。感性は抽象的であって共通したものを求める。心は個別具体の世界をカテゴリー分けして、そのカテゴリー内を同一視し数え上げる。心は数学であり、数学はまた心であるともいえる。計算的人間の誕生!