5月14日(火)晩春一刻値千金、内田樹、鈴木健、森田真生


 晴れ。気温27℃まで上がり夏日。階段を上がると額に汗にじむ。




 紀伊国屋サザンシアターに寄る。たつるちん他2名のトークショーーなり。このセンセ意外と若人の面倒見がよく、マメにサポートしていまふ。「なめらかな社会とその敵」を上梓して今売出し中の鈴木ケンちゃんと在野で圏論などをやっている数学者@森田マサオくん。題して「生命の起源から300年後の未来へ」つうテーマで3世代の異能が喧々諤々と和やかにトークしてました。

 生命現象を相互作用とみて、それを社会に適用したいっつうのが「なめ敵」の主旨だと。しかもその適用には300年の時を要するってぇ気の長ーい話しで、そこがまたイイんでないかい?人間(いや生物も)単独では存在しえず相互に影響し合う、写し込みがその原理であると。ミラーニューロンによる共感形成とそれを媒介するコミュニケーションが社会を形作ってが、1990年代からのインターネットがそれを加速し、質的な転換を促すと。

 たつるちゃんは武道からその見解に賛意を表す。自己と敵を分離し敵の攻撃にたいして如何に早くカウンターをかますかは「後の先」といふ。しかし無我無念の境地とは自己と敵を一体と見做したキマイラ(キメラ?)となることで全体を見渡せる。両者一体となったキマイラは個体とは全く違った運動法則で動く。制御の主体は個別者ではなくして、そのキマイラだと先に気付いた者が「先の先」を制するのだと。

 各ノードがどのように関係するのかを研究するネットワーク理論というのはありまふが、お互いに他のノードを写し込んで変化し、更にまた写し込むといふ合わせ鏡のようなノードを持つネットワークはとても複雑です。これをもし理論化出来れば、株価や経済現象をも含めた人のセンティメントを反映した社会を正確にモデル化でけるのかもしれないな。

 しかしケンちゃんの予想では300年かかりそうだと。この本にはイロエロなプロセスの切っ掛けが含まれているので、単に読んで消費して忘れるのではなくって、批判的に再生産して貰いたいんだと。彼は現代のロックになる気だどっ。しかも人類の社会だけではなくて、すべての生態系を含まねばならないから、それ位は掛かるかもねィ。ロックやルソーから現代までの時間距離!

 たつるちゃんは結局その本心では論理を馬鹿にしているとおもたど。感覚や情念、情緒の人。彼の原点は10歳の頃に伊豆の宇佐美の特殊学級でみた原風景にある。「台風が近づき黒雲が立ち全山の竹林がワサワサと山が揺れるように撓っている様を見た時に、山の竹が溶け出して自分も溶け出して癒合したときに全き快感が沸き起こった」と。

 数学者のマサオが言うことにゃ、ケンの発想は金剛教の「帝網」に似ていると。それはノードの珠玉がお互いに映し合って輝き、質の転換を果たしていると。それに日本の「情緒」は英語に訳しがたく、自然の描写がそのまま心を表現できると。ギリシャにも自然の表現は多々あるけど、それは単なるメタファーに過ぎない。脳の言葉は数劇的な言語では無いと確信すると。

 ま、なかなか知的な興奮を誘うトークではありましたが、論理だって色んな直観や価値観の中で最低限の相互コミュニケーションを取るためにギリシャが導入した方法論なんすから、徒に全否定することもなかんべい。でも新しい知の枠組みはオンとオフの狭間、ネットとリアルの融合の中にありそうなことは誰もが感じていることでしょうね?ドモ




 あ、ちょと付け足しておくと「論理は”最低限の”方法論」なのであって、わたしは論理絶対主義には反対する者でありんす。ドモドモ