5月13日(月)論理と感情はどっちがつおいのか

 うす曇りのちうす晴れのちうす曇り。22℃前後と過ごしやすい。今日の成果:10,800歩。近所の自然食品店にて無農薬の蕪と檸檬を買う。最近こういうの流行ってまふねィ。値段は2倍ですがブラセボ効果は抜群!あ、でも蕪は果物のように甘かったぁ。



 植物は隣の植物の声を聞く?
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130508-00000003-natiogeog-sctch
 面白そうだから読んでみた。でも作業仮説の段階で具体的な実証がほとんどないまま得々と語るって有りなのかな?それじゃ単なる夢見るおっさんじゃねーかィ。いや、夢ってのも大切なんですが、その夢は夢として語って頂きたいのれすぅ。科学の仮面を被せてはいけませーん。ドハッ




 内田センセの論理を検索してたら、すっげー前の犬も食わないブログに行き当たった:
 http://ccoe.cocolog-nifty.com/news/2005/09/post_3a4b.html
 「居ついたら負けだっ!」ってこの頃から仰ってたんですねィ。抽象的に何にでも当て嵌まることばかし言ってたら反論ができないから百戦無敗であーる。しかしどこか心理的には納得できませんから、感情の滓が溜まると。議論なんかをやって、それに勝っても負けても無意味だから逃げるに如かず!って生き方もあるけど、これは議論に基ずく民主主義の否定か、人間は議論なんかでは変わらないっつう人間不信の言説。勿論一部は合ってまふが、全面否定には及ぶまいと。曖昧な言説で人を???に居つかせる手法ってどこかで見たな?とか弁当を食いつつおもたぞよ。タハハ 





 これも結構石の上にも3年以上前の話し:
 http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51468540.html 
 情熱なき論理主義に反発する人は多い。ボクは未だにタツルちゃんにはブロックされたままだど。それでもボクはタツルちゃんが好きだっ!そのひねくれた根性に身をよじって共感致しまふぅ。ども。




 過去は替えられない、例え思考実験としても変えられない:
 最近時折りわたしが東電の幹部、または福島第一の幹部だったとして、果たしてあの事故を阻止できたのかっ!と自問することがあります。2010年の段階で海岸の地下にある補助電源のタービンを岡の上の安全な場所に莫大な資金を掛けて移す提案をして、それを進退を掛けて貫き通せたか。→心もとない。
 前大戦に日本の青年として生を受けた身で、戦争に身体を掛けて反対し戦局不利になった時に早期終戦に身を張れたか?「お国の為に犠牲になったたくさんの兵隊さんに申し訳が立つのかっ!」とか恫喝されてビビルのが関の山、ってなのが正直なところ。
 でも当時はそういう人々もホントはたくさん居て、みんな密かに抹殺されてたんすよね。北朝鮮のことを笑えません。みんな知らないだけで、今でもこう言ふことは進行中なのかもね?分からんけど。個人の自由意思はあるように見えて、実は集団の決定論に振り回されているよと。ドヨーン