8月9日(金)涼風至。かな???言葉と人間世界。

 猛暑晴れ、夕方薄雲が出る。26℃~36℃、58%。そろそろ秋を感じさせる涼しい風が吹いてもいい頃なんだけど、猛暑っしょ。

 前に作って冷凍しておいたトン汁を解凍して食す。しかしバカは2度失敗するの例に洩れず、コンニャクとジャガイモは冷凍すると極端に不味くなるんですぅ。ザンネン

 

 

 言葉とは:

 人間は言葉を使って議論します。ん?言葉を使わない議論ってあるのん?それはあることはありますが、この際おせーない。それで言葉にする過程でイロエロなものが零れ落ちてしまいます。人間は言葉を使っているときは、全てを分かっている心算になりますが、実際は分かっていないことの方が物凄く多いんです。この認識を「無知の知ソクラテス)」といって、哲学の出発点になります。でも、分かっている積もりの人は、もうそれ以上は考えません。

 それで議論は、このような各人に足りないところを補ったり、新しい知見をおせー合ったりして、無知の部分を補い合う行為と言うことになります。が、いわゆる詭弁家は議論を闘争とみて、相手に勝とうとします。相手の論の「スキ」ばかりを突いて、持論を有利に展開しようとします。どんな論にも必ず「スキ」というものが存在するのは、すべてのプログラムには必ずバグがあるようなもんだす。こりは神ならぬ人間の宿命ですね。

 しかしてこのような振る舞いは、排他主義者の言動にも共通します。ヘイト対象国に欠けている点だけを論(あげつら)い、良い点はまったく見ようとはしません。いわゆる一つの認知の偏(かたよ)りですね。この原理は人間関係にも当てはまり、感情的に大嫌いな人間には、その嫌な点だけが目につくようになり、良い点もあるのにまったく見えません。

 世界を、国を、人間を、フラットに見ることが如何に難しいか!これを自覚するだけでも、多少は見え方が変わってくるかも知れませんね。見え方が変われば、何事も決めつけなくなるでしょう。どーじゃろかい?