11月7日(水)立冬、冬立ぬいざ生きめやも

 曇りのち晴れ。15℃〜20℃、51%。立冬にしては暖かい♪





 ケアとは:

 careのことですね。日本語にこのニュアンスの語彙がなかったのか「ケア」とカタカナで表記されちょりもす。第1義は、不安、心配、気がかりのことですね。そこから、配慮、気配り、世話をする、などの意味が派生しました。高齢化社会になると、これが「介護」の意味合いがとても強くなりまふ。

 元阪大総長であった臨床哲学者@鷲田氏によると、「ケア」とは自分の時間を与えるっつうことなんだそーです。そもそも臨床哲学つうのは、医療の様々な局面において、治療者の立ち位置ではなくして患者の立場に立ってものごとを考えて行こうつう哲学活動なんす。アプリオリあるいは普遍的はたまた一般的な探究ではなくして、個別具体な事例から哲学を出発させようという試みなんですぅ。

 その、わしだ、わしだ、ワシが鷲田だぁ氏が唱えた「ケア」とは、自分の時間を与えることだったんす。すなわち、自分が積極的にケアしようってな積極的な説得や行動ではなく、ただ単に黙って相手の話す言葉に真摯に耳を傾けると。自分の知識や考えを主張するのではなくして、相手を全面的に受け入れると。これが「ケア」の本質であると看破したんですぅ。即ち、主張より受容ですね♪

 ケア分野においては、近年「ユマニチュード(人間らしさ)」という概念も導入されつつあり、認知症患者に尊敬の念をもって接すると症状が画期的に改善されると言ふ。これはケア本体だけではなくして、出会いと別れの重視や、言葉だけでなく身振りや目線も使った包括的なコミュニケーションを図るのが胆なんですぅ。しかし、これは単なるケア技法ではなく、こころから患者を人間としてリスペクトすることが極めて大切であると。

 ま、これらはあらゆる人間関係にとってとても大切なことですから、「ケア」とは、人間として成長する契機にもなるんだと思います。仏教でいうところの「喜捨(人の為に尽くせば自分もしやわせになる)」の精神でしょうか。これが孤立しては生きられない人間の宿命ですぅ。かな?ドンモドモドモ