10月31日(水)ハロウィン。かな?教条的とは。

 雲の多い晴れ。12℃〜20℃、36%。プールだん。久しぶりで息上がる。

 今日が最終日だっちゅうんで、「藝大アーツin丸の内」つうのに行ってきた。例年10月下旬に丸の内で開催される藝大のアート展示でやんす。今年のお題は「BORN」でした。芸術家の卵から産まれたばかしの作品がとても意欲的で斬新です。ボン♪ボン♪すかす、ぼかーいっつも終了間際になって行く癖があるなぁ。直すべし!




 教条的とは:

 〜すべし、〜であってはならない、のような教義を鵜呑みにして思考停止し、権威に盲従する態度であーる。一方、戒律やルールを守って神の御心に沿った生き方をするっつうイイ意味もありまふ。でも正義やイイ事も状況によって変わるし、水清くして魚住まず!ってなこともあるから、世人からは敬遠される生き方かもしれませんね。

 そもそも、すべしとか、そうであってはならない!なんつうのは人間だけで、動物はそがいなこたー言いません。腹を満たせばゴロゴロねてるし、怠けちゃいかーん!なんて言いませんからねィ。「べし、べし、べし」なんかで縛るのは言語を持ったヒトだけでやんすよ。堅苦しいですねェ。

 つう意味では立憲とか民主とか自由とか公明とか平等とか、はみんな教条であって、それ自体が正しいのではなく、状況により変わり得る概念である!つう認識は、混迷する時代では増々大切になるですよ。そもそもの原点に立ち返って、今の状況に写像し直すって努力は、考える人には必須でしょう。


 卑近な例を一つ挙げておきましょう:報連相(報告、連絡、相談)などは短く適切に正しく伝えることが大切です。いわゆる一つの効率的なコミュニケーションですね。これは組織の運営には必須の才覚でしょう。すかす、一旦個人の家庭生活になったれば、「もっと手短に要領よく喋れんのかぁ!」と怒鳴ってばかりいたら嫌われます。そのコンテンツよりも会話という行動自体が大切なこともあるんですぅ。良いこと悪いことは状況により変化します。決して教条的になってはなりまへん。カナ?