10月5日(金)エコロジーには虫の居所が悪いです。

 概ね弱雨ぽつぽつ。18℃〜21℃、91%。すずすい、が湿度高し。御徒町方面に進出す。



 虫も殺せぬいいおとこ:

 という言葉があるが、虫も食べない不味い野菜つうのが流通しておりまふ。しかも気候変動で、べらぼーに高くなりまひた。

 子供の時は、虫をたくさん捕まえて、毒注射を打って標本にしたりしてましたが、長じるとだんだん仏心がついてきて、虫も殺せなくなりました。子供の頃の悪さを思い出すと、カエルの皮をむいて雷魚の餌にしたり、トンボの尾を千切ってみたり、トウセミトンボを大きなトンボに食べさせてみたり、ミノムシの皮を剥いで凍死させたりと悪逆非道の限りを尽くしてました。

 「虫も殺せない」つう形容詞は、優しいとか大人しいの形容ぢゃなくって、「虫も殺さない顔をして悪事を働く」とかいう悪い用例で良く使われてますね。最近はあんまり釣りもやらなくなったし、生き造りなんてのもあんまし好きではないですねぇ。生き物を頃すってことに少なからず罪悪感を覚えるようになったんすね。こりをカンダタ現象と仮称する。なぜ歳をとるとカンダタ現象が表われてくるのかっ?こりは心理学的にとてもおもすろそーな課題ですぅ。ま、共感値の対象がヒトから他の生物にまで広がるのだっちゅう仮説は立てれます。すかす、もそっと奥が深いようなきもします。

 昔は悪逆非道の限りを尽くしていた西欧人が、自然保護、クジラやイルカを頃すのはダメダメヨー、ワシントン条約絶滅危惧種を救いましょー!とか、がらっと態度を変えたのとおんなじなのかな?育てたもの(家畜や養殖)は虐待してもよくって、自然の動物は保護しましょうっつう理路には今一納得できませんが、自然を保護するのには基本的に賛成します。

 今、自然保護は人間の為だけじゃなくして、自然界の全ての生命は同等の価値を持つんじゃあああ!つうディープエコロジーにようやく西欧も到達しました。仏教の思想では「捨身飼虎」という話しに既に全ての命は尊いということが語られておりまふ。「ブッダはその前世において、飢えて死にそうな母虎と7匹の子虎を見て、その身を彼らに与えて助けたと言ふ。」うーん、自己犠牲の極致ですねぇ。日本でも、少し前までは獣の肉は(表向きは)食べなかったという習慣がありましたから、少しは仏教を実践してたのかな?今では魚肉なんでも食べ放題ですが、たまにはその恩を思ってココロの中で感謝の供養くらいはしませうね。どもども。