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未来からの目:職人、生物、過去、価値の基準とは。
優れた職人が自分の仕事を判断する基準は、未来の職人に恥ずかしくない仕事を残すことだそーです。ま、短く見積もっても百年後とか二百年後からの反射です。現在、または少し先の世の評価ではなくして、未だ来たらざる遠い先の職人の目に耐えられる仕事なのかが、基準なんですすぅ。だからどんなに隠れた小さな造作も疎かにしないと。こりは、優れた芸術家にも当てはまると、個人的には思います。ゴッホなどは生前絵が売れずに弟に援助してもろてましたが、その目は未来からの反射を受けて、自分の作品に自信を持ってたんでしょうね。
地球環境の破壊や、現在の国家会計の無軌道ぶり(国家の負債を積み上げてとうとうGDPの2倍以上に膨らんでる)を見るに、今の政府や経済界は未来からの目を全く意識していないように見えまふ。札刷ってバブル起こして、この政権が続く間は株や土地が値上がってればいいや!ってな調子ですね。恥を知りません。
こういう風潮は、また過去に対しても恥知らずになります。小津安二郎や成瀬 巳喜男の映画に中には、必ず位牌が置かれていて、死者の存在を雄弁に語っております。そこには最早いなくても、その存在を感じて、その前では恥ずかしい行いはできない、という倫理観の基準になって居りまふ。これはまさに、過去が現在を共に生きているということでしょう。
という風に考えると、現在の倫理とは、未来にも過去にも恥じない行動を取るということではないでしょうか?今さえ良ければそれでイイんだっちゅう刹那的な考えは、その今さえ台無しにするように思えます。現在というのは、未来と過去と同居しているんだ、という考えは日本古来からの考え方であり、それが未消化の西欧個人主義や資本主義、はたまたグローバル経済原理主義によって、たまたま押し殺されているだけなんす。
やはし今一度、謙虚とか恥の文化を取り戻さないと、トンデモナイことになりまふYO−!(と、三浦瑠璃のどや顔に申し上げたい!)