2月24日(土)霞始靆(かすみはじめてたなびく)、なぜ無いのではなく、在るんだっ!

 ぼけ晴れ!1℃〜14℃、32%。ちょと暖かくなると。う〜らみに濡れた、目頭に〜♪それでも花粉が〜、流れて、落ちた〜♪

 先週あたりから、ウォーキングしてると、街をジョギングしている人が増えた気がする。そーかっ!明日は東京マラソンだった。参加する皆さん、がむばってくらはい、応援して居りまふ♪予報だと気温は少し低めですね。





 発見と発明とは:字面は似てるんですが。

 コロンブスアメリカに辿り着いたのは発見である。アメリカはコロンブスがいようと居なかろう、その前から存在していたからである。すかすエジソン白熱電球を作ったのは発明であるとゆわれる。これはその前になかったからである。既に在ったか、無かったか?それが問題だっ!

 発見か発明か問題はあらゆる所に存在する。芸術にしても、例えば円空は木の中に既に仏像は存在していたと言う。作者は、ただそれを彫り出しただけだと。これは洋の東西を問わず、多くの彫刻家が体験している事象です。しかし、水を凍らせた巨大な氷塊から像を彫り出す札幌の雪祭りでは、元々像が氷の中に入っていたとは思えません。これらは絵画、音楽、文学などあらゆる芸術に言えることかも?すでに存在していたものを掘り起こして発見したのか、自らが構築し形成したのか?

 数学などでも、元々あった数学的原理を発見したのか?自らが構成した精緻な建築物であるのか?議論の分かれるところでもあります。哲学的諸概念についても、同じことが言えます。メルロくんの場合は、この発見を感染などと表現しておりまふ。一度、ある概念が発見されると、それからは逃れ得ること能わずと。

 文字の組み合わせで表現する哲学や文学などでは、組み合わせ無限などの含意もありまふ。例えばアルファベット26文字と記号など、高々30文字前後を網羅的に組み合わせれば、原理的にはあらゆる文学が書けます。そーゆー意味では、あらゆる芸術は前もって存在していたと言えるのかな?でも、膨大で無意味な文字列から、意味ある文学を見つけるのは不可能だから、やはし芸術は創作だと言えます。論理的な存在可能性と、それを現に目の前に表出させる行為は、まったく異なる視点だと言えるでしょう。すなわち、発見と発明は共存できるのだと!


 ま、この世界には、そこに在るんだけど、肉薄できるんだけど、掴みきれない事象だらけですから、人間は理想と現実の狭間でのたうつしかねえでしょう♪