2月16日(金)春節(旧正月)の想い出。

 曇りがちな天気。3℃〜9℃、36%。風がつべたい。

 大中華圏や東南アジア(華僑)ではお正月になります。この時期に民族大移動が起きるのは例年のことです。花火なんかも上げてたなぁ♪横浜中華街でも獅子舞があるでよ♪北京でも花火や爆竹で賑やかだったですが、大気汚染の元なので、今は禁止されてるかも?義理チョコじゃないけど、義理お年玉(紅包?)の額が半端じゃない上司もおおかったですよ。




 冬の公園:

 子供の頃は、小石川の植物園が大好きで、春夏秋冬いつも行ってました。長じても都内の公園には良く行きます。今頃は、花も少なく、木々は葉が落ちた枝だけになっていて、落葉が山のように吹き寄せられてる、とても寂しげな情景が拡がってます。でも、カサコソと落ち葉を踏みながら、ものを思いつつ冬の林を歩き回るのは風情があります。新鮮な若葉の春、むんむんする草いきれの夏、鮮やかな紅葉の秋、とはまた一味違った冬の味わいがあります。

 でも、落ち葉の山をほじって見るとテントウムシが冬眠していたり、木々の蕾が密かに膨らみつつあるのを見ると、春の兆しも感じれまふ♪木々たちがすっかり裸になっているので、普段は見えない野鳥の巣とか昆虫のサナギとかも見つけやすいですぅ。色んな木の実を採集するのにも適しています。今日は「ムクロジ」の種子を見つけました。固い殻に覆われた中味は真黒で、羽根突きの羽根玉に使われるんですぅ。木の実も形や色が千差万別でとても面白いですぅ。種を同定するのは、葉っぱの形や枝ぶりや花以外でもイロエロとあるんですねィ。

 普段はあんまし気にしてなくても、あるとき突然、ながーい間不在だったものに、ふっと気が付くこともあります。例えば、ミノムシたちが、全くいなくなってしまいました。これは冬になって木の葉が全部落ちてしまうと、枝から垂れ下がっているのが良く目撃されました。小学生の時などは、枯葉の替わりに色紙を千切ったものに、殻をむいたミノムシを転がしておくと、翌日には、綺麗な色の蓑にくるまっていたものでした。嗚呼そんな時もありぬ、自然がグンと身近だった頃なり♪




 これ面白かった:空間人間学

 「曖昧な領域を容認すればもっと心豊かに生きられる」(薄日・佐古さんfrom 毬)
 https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/okan07 ←これ、「あんな黒いの」とか言ってた、某議員にも読ませたいですねぇ。知性の差は歴然!

 人間とは、「人の間のことなーり!」。人々との関係性なくして、プライバシーに孤立すれば人間では無くなるんですぅ。それを研究するマリの偉人とは!ぼくも牛込の、貧乏御家人と町人が混じって暮らす江戸の残影の中で育ったから、若い時は暑苦しい人間関係が鬱陶しかったけど、今になって見れば懐かしい。逝きし世の面影。






 感想:

 いや全く恥ずかしい話ですが、本音の備忘を謳っているので、正直に告白します。今日のショートのゆずくんの演技を見ていて思わず涙が滲んだですよ。集中力と言うよりも、その藝術的表現の完成度と技の素晴らしさに、思わず感動しました。緊張と集中の極限には、感動ありっ!・・・でも、どこか冷めた部分では、これは危ない感動だなっ?てな気分もあるから、食えない男なんすねぇ、我ながら。ショボーン