1月23日(火)極あたり前のことを考え続けるのが哲学で、あたりまえのことをそのまんま受け入れるのが生活ですか。

 快晴!−1℃〜10℃、42%。道端に雪残るも、交通に支障ないレベル。南西風強し。月末までは関東も強い寒気団に覆われる予想。今日も、源泉の出る銭湯にゆってきた。これは心理的に温まりますねイ。ホカホカ




 行動主義とは:

 自分の内側を内観しても主観の檻から脱出することができないから、外部から観察して心の中(表象?)を覗こうという態度。でも、それは単なる推測に陥る宿命にある。この批判を突破する為に、心の働きを計算によりシミュレートしようとの志向が現われた。チューリングによる計算機械もその一つである。ココロ(意識、認知、・・・)が計算で完全に模写できれば、その過程を外から見れることになる。この方向は一部成功したかに見えるが、ココロの働きの極一部に過ぎないという意見もある。また計算過程を外から覗けるというのも、AIの発展により処理のブラックボックス化が進み、一部幻想になりつつある。で、どないせいっちゅうんじゃあああ!やはし、ココロとか意識っちゅうのは一筋縄では行かんから、半歩進んで1歩下がり、一歩進んで半歩さがりつつ時間を掛けて熟成するしかアルマイト。焦るとねつ造なんかしちゃうから、ロクな事にはなりまへん。

 そもそも、科学的発見とか自己発見とかは、座って考えてるだけではどんづまり。行動し、創作し、生活し、何度も失敗しつつ何かを生み出す過程からしか齎せられないつうのは、過去の芸術家、科学者、作家、職人、市井の生活人の事績をたどれば、これはもうはっきりと申し上げて、自明のことなんすね。さあ、書を捨てて、いや書を携えて街に出よう!GO!GO!GO!



 哲学の根本命題って「ある」とはナンダ?なんす。あと「知るとか分かる」ってナンダ?とか「時間」ってナンダ?とか「自分」ってナンダ?とか、アーナンダでも分からんでしょ?






 もうだめかもしれんね:

 今年は防寒下着にかなーり投資して、今まで暖房無しで頑張ってきたが、もうだめかもしれんね。でも後1週間余りだっ。