1月22日(月)大雪警報!

 曇りのち雪。5℃→−1℃、49%→100%。爆弾颱風が南岸を通過中。首都圏にも大雪警報発令!帰宅困難者が大勢出そうですぅ。

 雪の合間を縫ってプールだん。空いていた。




 人工知能の限界とは:

 数学的思考とは既に答えが決まっていることを考察するから、偶有性が無くて他律的であるちゅうことは既に述べた。生命とは入力で決定されない思いがけない動きをするから自律的であるちゅうことも既に述べた。それで数学的概念を抽象した計算(アルゴリズム)で生命を模倣しようってのがAIなんであーる。では果たして計算機械(コンピュータ)で心を模擬(シミュレーション)でけるのか?デジタル化した白か黒かの判断の集積がコンピュータなんですぅ。これで世界を生命を語れるのんか?長い間の論争があり、未だに決着はしてまへん。多分いつまでも決着しないでしょう。

 その前に、純粋な記号操作のみで数学を記述でけるのんか?つうこと自体も未だ論争途中です。そーしないと定理の自動証明が叶いまへん。近年、大定理の証明がでけたと言っても、その証明は何百ページにも及び、証明自体を理解するのに何年も浪費するってな現象が散見されてまふ。いやいや論理の世界だけではなくして、物理界でも量子論などの意味解釈は未だに決着してません。それで意味なんかは考えずに、論理的な操作(アルゴリズム、ルール)だけで全てを記述しようってな操作主義が出てきました。意味は考えるな、ただ行動(操作)せよ!これの行きつく先がAIとなります。

 ま、これは純粋な記号操作の場を、無地のキャンバスと見立てれば、そこには如何なる絵(生命でも世界でもココロでも)も描けるんだっ!という発想でしょうか?ま、一つのアイデアであり、頭から否定する気にはなれませんが、意味のない世界なんて無意味じゃん、つうごく常識的な生活感情もありまする。デカルトが精神を身体から遊離させたような堅苦しさも感じます。心が身体から遊離した純粋な精神であるという見解は、最近の認知科学では既に否定されております。脳や腸という臓器やイロエロな情報伝達物質が総合して認知機能を担っているのだ、いやいや明確な意識だけではなく無意識下の膨大な処理も身体に依存しているし、情動なども論理では扱えない。いやいや人間(生物)というのは、それ自体で孤立しているのではなく、周りの環境(含む体内細菌)と密接不可分に体系(システム)を成しているんだっ!という意見が有力になりつつありまふ。

 さて生命とか意識というものは永遠の謎ですが、それに少しでも肉薄しようとの試みにはとても興味を覚えます。AIもその一つの手段とはなりえますが、それですべて解決というわけには行かないような気がします。ど、どもども。