12月7日(木)大雪(たいせつ)、北国では雪大いに降る。

 天高きすじ雲の晴れ。3℃〜11℃、51%。プールだん。ちょっとがむばり杉たら、インフル予防接種の上腕が痛くなり熱を持つ。




 アウトグループという発想 

「分かる」ということは、ある物事を分けて別し、際立たせることであるから、分けなくては何も分かりません。つまり、あるものごとの内部に安住している限り、その内部自体も認識できないということです。インサイダーの見解が独善・狭隘になってしまう所以です。実際に経験しなくても、少なくともその外側(アウトサイダー)からの見地を持てなくては、内部のことは分からないということでしょうか。


 そういう意味では「主観」の分析というのは、極めて難しい課題です。主観というのは、内側の極みですから。一端外に出て、内側の主観を分析しようと思ったとたんに、それはもう「主観」ではなくなってしまいます。主観のように見えて、実は主観という名の客観に変容してしまいます。これら(主観の様な客観)は共感とか感情の流出とか、間主観性とかいう科学以外の、例えば哲学とか藝術分野での探究にならざるを得ない所以です。クオリアの問題は、科学的実証から芸術的共感に席を譲らざるを得ないと。ども。


 って、科学の分野でも、アウトグループという考え方があって、同じ分野の中だけでは突破でけない難問が、その分野の外から眺めると、実に見通しが良くなって、するすると解けたって例が多いですぅ。深堀する学問間の学際的研究が重要な所以です。専門と総合、専用と汎用、プロと素人との葛藤から新しいものが生まれると言う理解の助けになれば幸いです。どもども。




 NHK受信料の最高裁判断について:アホ抜かせ!

 最近の司法は、実に政権寄りというか、高度な政治判断には司法は介入しないと言う「統治行為論」の、適用範囲を拡げている判決が目立ちます。NHKの放送を受信できない受像機の選択肢も無いまま、受像機を持ったら既に契約したと同じというのは、契約の自由に反しているのは明らか。また最近のディジタル技術や放送技術の進展により、番組ごとに課金するのは極普通の技術になっている。「政権広報になっている政治ニュースはみたくないもんね〜」、「詰まらないお笑いはみないもんね〜」、「旅行番組や教養番組なら見てもいい♪」のように選択肢を増やして欲しい。そして全部見たくなければ課金システムと契約しなくて済むというネットTVやWOWOWみたいにすればイイじゃん?少なくとも司法の判決は、その方向性を示唆すべきであった。司法が政権のチェックという義務を放棄し、政策実施の走狗となる時は、中共北朝鮮の司法となんら変わらぬ自由の抑圧機関ではないんかい!頭の固い老人判事が牛耳る社会に未来はないんじゃいィィィ〜〜〜!退官を1か月後に控えた寺田逸郎長官の判決は、仲井眞弘多沖縄前知事の辺野古埋め立て承認と同じくらい臭い最後っ屁ですな。